大判例

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最高裁判所第二小法廷 平成4年(行ツ)46号 判決

岡山県津山市林田一九〇二--九

上告人

浅図政信

被上告人

右代表者

法務大臣 三ヶ月章

東京都千代田区永田町一丁目六番一号

被上告人

内閣総理大臣 細川護熙

右両名指定代理人

中村和博

右当事者間の広島高等裁判所岡山支部平成二年行コ第四号損害賠償等請求事件について、同裁判所が平成三年十二月五日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

一  上告人の上告理由第一点ないし第三点について

所論の点に関する原審の判断は正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。右違法のあることを前提とする所論違憲の主張は、その前提を欠き、また、所論引用の判例は、所論の趣旨を判示するものではない。論旨は採用することができない。

二  その余の上告理由について

所論の点に関する原審の判断は正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。国会議員の立法行為は、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというごとき、容易に想定し難いような例外的な場合でない限り、国家賠償法一条一項の適用上、違法の評価を受けないものと解すべきところ(最高裁昭和五三年(オ)第一二四〇号同六〇年一一月二一日第一小法廷判決・民集三九巻七号一五一二頁参照)、憲法三〇条、八四条が、課税要件及び租税の賦課徴収の手続の具体的決定を原則として国会の裁量的判断に任せる趣旨であることは、当裁判所の判例とするところであるから(最高裁昭和五五年行ツ第一五号同六〇年三月二七日大法廷判決・民集三九巻二号二四七頁参照)、消費税法の立法行為が、右の例外的な場合に当たると解すべき余地はない。また、消費税法五条一項、税制改革法一一条一項の規定によれば、消費税は、課税資産の譲渡等を行う事業者を納税義務者として課される間接税であり、事業者は、消費者が支払う消費税相当額の金員を、売買等の契約という法律上の原因に基づいて取得するものであるから、上告人と被上告人国との間で、上告人が売買契約の相手方である事業者に支払った消費税相当額の金員につき不当利得関係を生ずるものではない。したがって、所論違憲の主張は、原判決の結論に影響のない事項について原判決を論難するものにすぎない。論旨はいずれも採用することができない。

三  よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大西勝也 裁判官 藤島昭 裁判官 中島敏次郎 裁判官 木崎良平)

(平成四年(行ツ)第四六号 上告人 浅図政信)

上告人の上告理由

第一点 原判決の判断に影響をおよぼす採証法則の違背及び最高裁判所判例に違背する違法がある。

「争いがない事実を証拠に依って認定した判決は違法である」(最高裁二小昭三七・三・九、民集一六・三・五一四)

2 「原判決挙示の証拠から認定事実を認定できる証拠が見当たらないときは、証拠によらないで事実を認定した違法がある」(最高裁二小昭四三・三・一、民集二二・三・四九一)

即ち一審及び二審判決は、控訴人原告が提出した証拠を全く事実認定せず、さらにそれのみならず、原告訴えを証拠だてる証人の証拠調べ一切を認めず、原告控訴人の抗弁権、立証権、証拠に基づいて審査を求める裁判権を奪った上の、証拠立証によって判決するという近代憲法の原則にも反する違法なものであり、証拠によらないで事実を認定することは違法とする前述の最高裁判例に違背する違法がある。

第二点 国民に憲法三二条で保障された裁判をうける権利を侵害した、憲法に違背した裁判権の行使という違法がある。

即ち前述の通り一審も原告が提出した証拠を採用しないのみならず、原告が求めた証拠としての証人調べ一切を認めず判決を行い、それをチェックするためにある二審も控訴人が提出している証拠をとりあげることもできないとして(立法権の問題として)こばんでいるのみならず、税法学者、憲法学者、消費税を消費者に転嫁できていない小売業者、消費者、消費団体代表等々の控訴人の請求を証明できる証人の証拠調べ一切を認めず、一回は控訴理由等の陳述、二回目は審議うち切りをやって判決するという控訴人の裁判をうける権利を侵害して裁判を進行させ、判決させた違法、憲法三二条に違背した違法がある。

第三点 憲法尊重擁護義務を定める憲法九九条に違背し且つそのことを判示した昭和二五・二・一、最高裁大法廷判例にも違背した違法がある。

下級裁判所の違憲審査権(最大判昭和二五・二・一刑集四巻二号七三頁、食管法違反事件)それによると最高裁大法廷は次のように明確に判示している。「憲法は国の最高法規であって、その条規に反する法律命令等は、その効力を有せず、裁判官は、憲法及び法律に拘束され、又憲法を尊重し、擁護する義務を負うことは憲法の明定するところである。従って裁判官が、具体的訴訟事件に、法令を適用して裁判するに当り、その法令が、憲法に適合するか、否かを判断することは、憲法によって裁判官に課せられた、職務と職権であって、このことは最高裁判所の裁判官であると下級裁判所の裁判官であるとを問わない。憲法八一条は、最高裁判所が、違憲審査権を有する終審裁判所であることを明らかにしたものであって、下級裁判所が違憲審査権を有することを否定するものではない」と。

然るに本件第一審判決は、原告が違憲として提出している証拠を全く審査していないのみならず、それを立証するための証拠調べとしての証人一切を認めず全く違憲立法(法令)審査をしないで判決したものであり、従って憲法九九条及び前述の最高裁大法廷判例に違背した違法があるといわねばならない。

然も第二審判決は、第一審判決の是非をチェックするために裁判を行わねばならない上で機能している中の裁判でなくてはならないのに、全く違憲審査をやっていないのみならず、証拠調べができるとしたら、それは間接民主々義を定めた憲法の規定を無視するものであるとして、憲法立法審査権を放棄している。これは正しく憲法九九条及び前述最高裁大法廷判決に違背する違法の上の判決であるといわざるを得ない。(前述判例)新版憲法判例(増補版)池田政章。安部照哉編二六九頁--二七〇頁参照)

第四点 告知弁解、防禦の機会を与えない第三者所有物の没収は、憲法三一条、二九条に違反するという最高裁大法廷判例に原判決は違背した違法がある。

1 適法手続きと第三者所有物の没収(最大判昭和三七・二・二八、刑集一六巻一一号一五九三頁〔関税法違反〕阿部照哉。池田政章編一一九頁--一二〇頁可法手続)--「第三者の所有物を没収する場合において、その没収に関して当該所有者に対し、何ら告知弁解、防禦の機会をあたえることなく、その所有権を奪うことは、著しく不合理であって、憲法の容認しないところであるといわなければならない。けだし憲法二九条一項は、財産権は、これを侵してはならないと規定し、又、同三一条は何人も法律の手続きによらなければ、その生命若しくは、自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられないと規定しているが、前記第三者の所有物の没収はYに対する付加刑としていい渡され、その刑事処分の効果が第三者に及ぶものであるから、所有物を没収される第三者についても、告知、弁解、防禦(弁護)の機会をあたえることが必要であって、これなくして第三者の所有物を没収することは、適正な法律手続によらないで財産権を侵害する制裁を科することに外ならないからである。このことは、右第三者に、事後においていかなる権利救済の方法が認められるかということとは、別個の問題である。

然るに関税法一一八条一項は、同項所定の犯罪に関係ある船舶、貨物等が被告人以外の第三者の所有に属する場合において、これを没収する旨規定しながら、その所有者たる第三者に対し、告知、弁解、防禦の機会を与えるべきことを定めておらず、又刑訴法その他の法令においても、何んらかかる手続きに関する規定を設けていないのである。従って、前記関税法一一八条一項によって第三者の所有物を没収することは、憲法三一条、二九条に違反するものと断ぜざるをえない。

2 違憲の主張する適格性(利害関係者は適格)そしてかかる没収の言渡をうけたYは、たとえ第三者の所有物に関する場合であっても、被告人に対する付加刑である以上、没収の裁判を違憲を理由として上告をなしうることは当然である。のみならず、Yとしても没収に係る物の占有権を剥奪され、またはこれが使用、収益をなし得ない状態におかれ、更には所有権を剥奪された第三者から賠償請求権等を行使される危険に曝される等、利害関係を有することが明かであるから、上告により、これが救済を求めることができるものと解すべきである。これと矛盾する昭和三五年一〇月一九日当裁判所大法廷言渡の判例は、これを変更するを相当と認める」……とまず消費税法付則第三条一項は施行前の昭和六三年一二月二九日以前に締結された工事契約のものは、消費者国民から消費税を業者がとりたてても、国に納入はされるが、全額還付されるように竹下被告らは(勿論国総理大臣ら)仕組んでいるということである。即ち付則三条一項は「事業者が施行の日(以下施行日という)前に締結した工事(製造を含む)の請負に係わる契約(これに類する政令で定める契約を含む)に基づき、適用日以後に当該契約に係わる課税資産の譲渡等(第七条第一項各号に掲げる資産の譲渡等に該当するもの及び第八条第一項その他の法律又は条約の規定により消費税が免除されるものを除き)を行う場合には、当該課税資産の譲渡等(施行日以後に当該契約に係る額が、増額された場合には、当該増額される前の対価の額にする部分に限る)については消費税を課さない。」と規定されているのである。これは本来税の原則からいけば、消費者に課税されないとならざるを得ないのに、利益団体と被告らとの(消費者国民から徴収した国民の財産を分どりするという)談合に依って作られた条項であり、消費者国民(原告)は全額税とならない巨額の資産を、税という名でとりたてられ、横領されているに外ならないのである。

税法学の第一人者である富岡幸雄中央大学教授は次のように論述している。……「消費税でもうけているのはやはり大企業なのだ。この表は私が入手できた資料から、私が独自に推計したものだ。完成工事高一〇〇億円の建設会社A社は、経営利益五億円、法人税の申告課税所得が、六億円で、法人税、住民税、事業税の納税額は、三億円だ。この五月末に三億円の税金を納めることになるが、おどろくなかれ一億円もの消費税を還付を受けることになるのだ。B社は一〇億円、C社は四五億円、D社は九五億円、完成工事高二兆円の最大手のE社は、一九〇億円もの消費税の還付となると推計される。(雑誌サンサーラ七月号 富岡幸雄「政治の取引に堕した国民不在の消費税 一八六頁--一八七頁)(富岡教授了解参照)何んと納めた税金の三分の一が一企業によって横領されている実態なのである。

然るに消費税法付則第三条一項は消費者国民(原告)から全く税金とならない国民の財産を没収することを定めているが、その没収する財産の所有者である消費者(原告)に対して最高裁判例が正しく明示しているように、何んら告知、弁解、防禦の機会をあたえることを規定していないのである。岡山県第三の予算額をもつ平成三年度津山市の予算額が、二二五億九六〇〇万円である。即ちおどろくべきや、人口十万近い津山市の一年間の総予算の額に価いする二〇〇億円近い消費者国民(原告)の財産が消費税という名でとりたてられ(没収され)その全額が一社に横領されているのである。全く租税にならず企業のもうけとして逆流されているのである。それは然も、五年間契約の仕事が続けば五年間、一〇年間続けば一〇年間、合法的横領はくり返されるのである。この件については、参議院選後の消費税国会において公明党国会議員等に依って、国会で討議され、被告らが事実だとして答えているところであり、国会議事録に明記されているところである。然るに消費税法付則三条一項は、同項所定の国民の財産を業者によって徴収させ(事実上国税という名で業者にとりたてさせ、国に納入させて業者に横領させるのであるから業者に没収させるための仕組を法制化しているに過ぎず、私人及び営利企業による他人の財産を没収するものである)没収できる方法を規定しているが、にも拘わらず、その所有者たる消費者(原告)に対し、告知、抗弁、防禦の機会をあたえるべきことを定めておらず、前記消費税法付則第三条一項に関わる国民(原告)の財産を横領没収させること及びそれら横領させることを行わしめる税制改革法第一〇条二項は商品の販売、役務の提供等の各段階において3/100の税を課する規定しているが、かかる手続に関する規定は設けていないのである。従って消費税法付則第三条第一項及び消費税法の課税規定条項、税制改革法第一〇条第二項は関税法二八条一項と同じく、憲法三一条、同二九条に違背し、且つそれを明示した前述の最高裁判例に違背しており、憲法三一条、同二九条及び最高裁判例に違背した違法があり、取消されるべきものだといわざるをえない。

2 次に消費税法第九条第一項は三〇〇〇万以下の事業者に対し、非課税としているが、これも又税制改革法第一〇条一項は、三%消費者国民からとりたてることを規定しながら、理由も根拠もない事業者が横領するに過ぎない財産を消費者国民(原告)からとりたて没収するのに告知、弁解、防禦の機会を与えることを定めておらずかかる手続に関する規定も設けていないのである。

3 次に消費税法第三七条一項の簡易課税方式により見なし課税なるものを認めて、合法的横領を業会と被告らによって成された談合を条文化して法という衣にかぶせて認めていることである。これは九条一項に次のように社会福祉的施策は一切認められないにも拘らず、消費者国民(原告上告人)から横領されるものであることが解っていて、消費者国民(原告上告人)の財産を営利を目的とする業者に国庫に入れずに剥奪させるものであるのに、告知、弁解、防禦の機会を与えることの規定は消費税法六法のどこにも設けられていないのである。最高裁の判例の言葉をかりれば、「第三者(直接の関係者は税においては、国と消費者国民が当事者である)の所有物を没収する場合において、その没収に関して当該所有者(上告人、国民消費者)に対し、何ら告知、弁解、防禦の機会をあたえることなく、その所有権を奪うことは、著しく不合理であって、憲法の容認しないところといわねばならない。けだし憲法二九条一項は、財産権は、これを犯してはならないと規定し、又同三一条は、何人も法律の定めと手続によらなければ、その生命若しくは、自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられないと規定している……所有物を没収せられる第三者についても(消費者国民上告人)告知、弁解、防禦の機会を与えることが必要であって、これなくして第三者の所有物を没収することは、適正な法手続によらないで財産権を侵害する制裁(横領)を科す(させる)ことに外ならないのである。このことは第三者に、事後においていかなる権利救済(決定に対する異議申立て)の方法があるということとは別の問題である。然るに二九条(税制改革法一〇条二項 消費税法第九条一項、同法三七条一項、同法付則三条一項、二項は、あらゆる取引製造営業一切に3/100の課税すると規定しながら、その中に消費者国民原告上告人から金額とりたてたものを横領させるものや、そのとりたてた額の五〇%三〇%二〇%等々横領させる刑法二五三条の国金又は私的財産横領罪にあたる犯罪行為をさせるものがあるにも拘らず、その所有者たる国民消費者原告に対し、告知、弁解、防禦の機会を与えることを定めておらず、又消費税法関連六法においても、何んらかかる手続に関する規定を設けていないのである。従って消費税法第九条一項、同法三七条一項、税制改革一〇条一項、消費税法付則三条一項、二項に依って国民原告の財産を没収することは憲法三一条、二九条に違反するものと断ぜざるを得ないのである。

2 違憲の主張する適格性

上告人は消費者として生活してこれら違法な横領される金を剥奪されているものとして及び消費税を消費者に転嫁できず困っているものとして請求しており、両方共、この判例の示す通り、利害関係人であり、違憲の主張する適格性のもと違憲審査を求めているものである。総じて原判決は正しく憲法三一条、同法二九条に違反するものと主張しているゆえんであり、最高裁判例に違背する違法がある事は明かであるといわねばならない。

第五点 原判決は憲法一四条の法の下の平等を規定する条項に違背し且つ憲法一四条の法の下の平等は、不平等な法の制定を禁止しているという最高裁の諸判例にも違背し、学界の大多数の学説にも反する違法なものである。今までの準備書面とくり返しになるけれ共、憲法学の宮沢俊義東大教授は次のように述べていられる。

「憲法一四条について……不平等な法を平等に適用しても、平等は実現されない。憲法一四条は、法を不平等に適用されることを禁止するだけでなく、不平等な取扱いや差別をさせること内容とする立法を立法府に禁じるものである。」(宮沢俊義東大教授著 憲法口二六九頁内容)

「憲法一四条の法の下の平等は、単に法令がすべての人に平等に適用されるだけでなく、法令そのものが、いわれなく人を差別しないことを求める。立法権を拘束する「法律の平等」を意味するいわれのない不合理な差別とは何か。といえば、この憲法の基本原理である個人主義、民主主義の理念に反する差別だという外ない。

これでは有効無効を分ける基準としてはあまり漠然としているので、一項は人種、信条、性別、社会的身分又は門地により差別されない。といって差別の例を示している。法律はすべて、国家的生活関係か、社会的生活関係を規律するものであるから、法律によって設けられる差別は、「政治的、経済的又は社会的関係の差別(上告人注例示禁止されている差別)にあたる。……一項がいくつかの例を挙げつつ、一般に不合理な差別を立法府に対して禁止したものであることは判例もはっきりと認めている。

判例(最大判昭和三九・五・二七)、伊藤正己(最高裁判事)。尾吹善人(千葉大法学部教授)。樋口陽一(東大法学部教授)。戸松秀典(成城大法学部助教授)。「注釈憲法」(四五頁-四六頁)

「法の下の平等は、形式的に理解すれば、法律上の適用上の平等であると解釈されやすい。然し憲法一四条のそれは、法律の規定の内容そのものが人種その他の理由による不平等をもちこんではならないとしている。ここに列挙されているものは、信条を別にすれば、人間の個人的努力によって変えることのできないものであり、すべて前近代的な差別原因といえる。ここにあげられていないものであっても、それに類する合理性のない差別は禁止される」。長谷川正安名古屋大学教授著「日本の憲法第二版」「一六七頁)。

「一四条について学説は、一般に法の下の平等は、法を不平等に適用することを禁止しているだけでなく、不平等な取扱いを内容とする法の定立を禁止するものと解している。判例も、立法者拘束説に立っている。」樋口陽一。山内敏弘。佐藤幸治。中村睦男。浦部法穂共著「憲法入門」5平等権」一二六頁。

「租税の公平負担は、まず租税法律を定める場合にこれを考慮しなければならない。租税の公平負担は、……憲法の要請するところであるから、租税の公平負担に反するような立法は、憲法に違反して無効になる場合があらう。もっとも、租税負担の公平を欠くことがあっても、負担に差をつけることに合理的な理由があれば、憲法違反とはならない。おそらく特に合理的な理由もないのに、負担の公平を欠き、不公平の程度が著しく、不公平の存在が明かな様な場合は憲法違反とならう」。金子宏。清水敬次。宮谷俊胤。畠山武道共著「税法入門」(第二版)(三四頁--三五頁)

かくの如く、憲法学者、税法学者、財政学者、近代経済学者及びその他の法学者の一致した学説は、「憲法一四条の法の下の平等は、法を不平等に適用されることを禁止するだけでなく、不平等な取扱いや差別をさせることを内容とする法律の立法を立法権(国会)に対して禁止し、且つ立法府国会も拘束し、かかる法律の定立を許さず、かかる法律は違憲無効となる。又このことは最高裁も(大法廷の昭和三九年・五月二七日の判例等によって確立され、立法権拘束説に立っているというふうになっており、正しく最高裁の判断と学界の学説が一致しているものである。

2 最高裁判例(憲法一四条の法の下の平等は、法府立法権を拘束する判例前述に次ぐ(2))

2 尊属殺加罰規定の憲法一四条違反認定(最大判昭和四八・四・四 刑集二七巻三号二六五頁)新憲法判例(増補版)阿部照哉。池田政章編三九頁-一二〇頁)

判旨(1)平等の本旨 憲法一四条一項は、国民に対し法の下の平等を保障した規定であって、同項後段列挙の事項は、例示的なものであることおよびこの平等の要請は……合理的な根拠に基ずくものでないかぎり、差別的な取扱いを禁止する趣旨……である」 (3)……加重の程度が極端であって……立法目的達成の手段として甚だしく均衡を失し、これを正当化しうべき根拠を見出しえない時は、その差別は著しく、不合理なものといわなければならず、かかる規定は憲法一四条に違反して無効である。」「刑法二〇〇条をみるに……合理的な根拠に基づく差別的な取扱いとして正当化することはできない」。

4 判例の変更による違憲性の認定

「刑法二〇〇条は……必要な限度を遙かに超え普通殺に関する刑法一九九条の法定刑に比し、著しく不合理な差別的取扱いをするものと認められ、憲法一四条一項に違反して無効であるとしなければならず、したがって尊属殺も刑法一九九条を適用するのほかはない。この見解に反する当審従来の判例はこれを変更する。」

第一審判決は次のように述べている。「免税事業者制度及び簡易課税制度は事業者が消費者へ消費税分を転嫁するにあたり過剰に転嫁する可能性があることは否定することはできないが、中小零細業者の納税義務の負担軽減という政策目的に照らして、必ずしも、不合理な制度とはいえず、憲法八四条ないし、三〇条に違反するとはいえない。」と。

又「……事業者が仕入にあたり逐一相手方が免税業者であるか否かを確認する要がないなど、インポイス方式に比べ事業者にとり事務手続きが簡略であり、又、事業者において適切に消費税の転嫁がなされることにより、ある程度は過剰転嫁が回避されることが期待できるから、消費税の導入による事務負担の軽減という政策目的を考慮に入れると不合理なものとはいえない。そうだとすれば、消費者への過剰転嫁を理由として、消費税法が憲法一四条、八四条、三〇条、二九条ないし一四条に違反するとはいえない」と、はたして第一審判決にいっていることは事実であらうか。勿論このことをいいつつ第一審は事実を明らかにするための証拠調べも、消費税の不合理性を研究している学者の証人としての証拠調べも一切やっていないのである。又それをチェックすべき第二審も一切の証拠調べをせず、一切の証人調べもこばみ何一つしていないのである。従って違憲であるか否かという一切の審査をしないで違憲ではないといっているとしかいいようがないのである。これは全体の問題であるが、まず憲法一四条の法の下の平等はいくつもの最高裁判例にあるように、不平等な差別を内容とする法の定立を禁ずるものであり、最高裁大法廷昭和三九年五月二七日判決及び最高裁大法廷昭和四八年四月四日の判決その外の最高裁判例に、一審及び二審判決は違背する違法があり、憲法学者、税法学者、財政学者及び法学者の一致した学説にも相入れない不当違法なものであることを列挙した判例及び学説を陳述し、さらにそのもつ不合理性、不公平の程度が著しく、不公平の存在が明かで憲法違反の事実を明らかにしようとするものである。次は富岡中央学教授の学説である。

1 消費者が負担した税金が国庫に入らない矛盾

「簡易課税制度は、税務計算や税務事務を簡単にするための特別措置で、年間の課税売上高五億円以下(一部修正)の事業者(全体の九六・七%)が利用できる制度である。売上高の一定割合を仕入れ等の金額とみなしそれに税率をかけた額を仕入額として扱い、売上高に税率をかけて求めた額から差引くことにしており、取引きごとに計算し集計する必要はない。……簡易課税制度では、仕入れを一定割合とみなしてマージン率を一定とし、売上高のみから税額を計算する方式である。……実際の仕入れ等の率が、みなし仕入れ等の率より低い事業所は(者は)、簡易課税を選ぶと納税額が少くてすむことになり、新たな不公平が生ずることになる。」

2 消費者の負担した税金が国庫に入らない矛盾

--他人が負担した税金を儲ける「益税」が生じる--

簡易課税制度では……仕入等の額は、一般事業者は売上げの八〇%とみなす(卸売は九〇%とみなし)「ドンブリ勘定」で仕入額をはじき出すわけである。たとえば売上高が一億円、仕入高が七千万円(仕入れ等の率七〇%)の一般事業者の場合は、本来なら、一億の三%三〇〇万円から七、〇〇〇万円の三%にあたる二一〇万を引いた九〇万円が納付額である。ところが簡易課税制度を選択すれば、一億円の三%の三〇〇万円から、みなし仕入高八千万円に三%をかけた二四〇万円を引いた六〇万円(これは売上高の〇・五%にあたる)を納めればよく、差引三〇万円が益税となる。

仕入れ等の額が「みなし仕入れ率」より低い事業者は、簡易課税制度を選択すれば、実額に算出した額より仕入れ額が増えるので納付税額が少なくてすむのである。

前掲の例では、正規の税額計算方法である「通常方式の納付税額」九〇万円と「簡易課税方式の納付税額」六〇万円との差額が事業者のふところに入ることになる。これは、消費税が「利益」に「転換し」税が利益を生むことになるので「益税(えきぜい)」というべきことになる。これまで節税とは、所得税や法人税のように、自分が納める税金を合法的に節約することであるが、「益税」は消費者である他人が納めた税金、消費者から預かった税金を、事業者が自分の儲けとして取得してしまうことである。この「益税」は「税抜き経理方式」を採用する時は「雑益」として損益計算書に表わされる。」(上告人注 被告らもそれを基々承知の上で計画的故意によって横領行為を行わせるために、消費税法に規定しているのである」

3 「業者間のマージン率に大差があり、大きな不公平を生む。」

--付加価値の高い業種は、消費税が雑益となり、低い業種は消費税をかぶされる--

「実際の仕入れ等の額の割合が、「見なし仕入れ等の率」より低く、マージン率が高い事業者は簡易課税の適用で納税額が少なくてすむ」。

「大蔵省が、昭和六三年二月五日、衆議院税制問題等調査特別委員会に提出した消費税の課税対象とな付加価値率(マージン率)は次のようである。

卸売六・六。小売一七・八。農林水産二三・五。鉱業二六・七。建設十八・八。製造業二二・四。不動産二六・五。運輸通信四三・五。電器三六・四。ガス・水道三三・一。サービス三〇・〇。全産業一七・五。

それによると一一業種に分類した中で最もマージン率が高いのは、運輸通信業の四三・五%、低いのは卸売の六・六%で「業種によって相当の開きがある」マージン率を一般に一律二〇%とみなしている簡易課税制度との差があまりにも大きい。マージン率の高い業種は、消費者が納めた税金を横取りする益税となるが、マージン率の低い業者は、簡易課税制度の適用でかえって増税になってしまう。このことからも「消費税は」業者間にも新たな不公平を生む不合理な税金である。

この簡易課税制度のもつ欠陥は、今回の「消費税の」かかえている象徴的な不合理性であり、この点からしても、消費税そのものが、いかに不公平な問題のある税金であるか解かるであらう。」

(商学論算 第三〇巻 四、五、六号(一九八九年三月三〇日発行「実施された「消費税」の基本的欠陥の検討」 --非課税取引。税率構造。簡易課税制度の吟味を中心として--富岡幸雄--

中央大学商学研究会発行(六二頁-六六頁)

不合理きわまりない消費税であることはこの富岡中央大学教授の学説においても明確である。さらに富岡教授は同書七三頁において研明ののちの付記において次の様に結論していられるのである。

「欠陥税制である「消費税の」強行導入で、税制の歪みと不公平は一段と増大した。税制改革がさっぱり、不公平税制の是正をせず、「現実妥協による「アバウト」課税への堕落の途に陥っ入ったためである。今やこの国は落ちるところまで落ちてしまい最悪の事態に突入してしまった。徹底的に消費税のもつ欠陥を明らかにしてきたが、廃止する以外道のないことを明言しておきたい。」

要するに、消費税は、その仕組みとして消費者国民(上告人)から何がなんでもとりたてること、そして租税となって国庫に入る金銭と入ったのをその間々事業者に全額横取りさせる金銭及び一部横領させる金銭のとりたてをすることを消費税法が規定する中で存在しているのである。

即ち富岡教授によれば、今回の「消費税」は、事業者免税率、限界控除制度、簡易課税制定を設定(規定)しているが、これらが、いかに桁ちがいに、高い課税売上高に適用されていることが問題である。納税事務の簡素化への配慮をいいながら、事業者におもねた措置をたっぷり設けたことが、消費税を救い難い欠陥税制に仕立てあげてしまった。(前参照「実施された消費税の基本的欠陥の検討」--非課税取引。税率構造。簡易課税制度の吟味を中心として七二頁参照)のである。

富岡教授が結論しているように最悪のアバウト課税なのである。「消費税」という名で国民の財産をりゃく奪する黒い税法としかいいようがないのである。

憲法一四条は法の下の平等を定め、そして一項は人種、信条、性別、社会的身分、又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されないと規定している前述「注釈憲法」において四人の権威ある法学者先生の学説の通り、法律によって設けられる差別は、「政治的、経済的又は社会的関係の差別にあたる一項がいくつかの例をあげつつ、一般に不合理な差別は、立法府に対して禁止したものであることは判例もはっきりと認めている」のである。正に消費税法は富岡教授がいわれるように不合理の上に成り立っており、いちぢるしい差別と不公平を消費税法付則第三条一項、消費税法第三七条一項及び第九条一項及びそれらを強制する税制改革法第一〇条二項は憲法一四条一項に違反するものといわなければならない。消費税法二九条然りである。

第五点 付則第三条一項は、事業者のみならず、企業人格はあっても、人間の人格を持たない大企業一社に、消費者国民から集めた、一〇万都市一市の全予算に価いする消費者国民(上告人原告)らの財産百九十億円を含む「消費税という名で集めたものを形だけ国庫に入れてその全額を横領できるように規定している。これは企業(者)であるという理由だけで消費者及び転嫁できなくて生活費で自己負担しているものを差別するもので極めていちぢるしい不公平と差別するものであり、憲法一四条一項に違反し、無効であるものといわねばならない。税でないものを税として徴収し全額横領させることに合理的理由はありえないし、これ程不合理なもの、不公平差別はないといわねばならずこれは憲法の容認しないものといわねばならない。勿論そのとりたてを定める消費税法及び税制改革法第一〇条も憲法に違背するものである。消費税法二九条も又然り、憲法一四条に同じ理由で不合理な差別と不合理きわまりない不公平なとりたてをさせるものであり違反するといわねばならない。

第六点 簡易課税、免税条項、限界控除条項は消費者と企業及び企業者の不合理な差別的扱いを行わせいちぢるしい不公平を規定するものであり、憲法一四条違反である。

一 まず消費者(上告人)が負担した税金が国庫に入らないという矛盾(富岡教授)という不合理性の上に、その国庫に入らぬ消費者国民(上告人原告)の財産を人間の尊厳を根本原理とする憲法の下で、人格といっても企業人格しか持たない企業と企業者に横領させるというこれ以上にない企業に特権をあたえ、税でもないものをとりたてられ横領されても、そのことについて異議さえもいえないようなこれいじょうにない消費者を差別し、これいじょうのない消費者を(企業(者)に得利をあたえて)不公平に扱っている前述三条項は憲法一四条に違反するといわなければならない。さらにそれらをとりたてさせ横取させることを規定する税制改革法第一〇条二項、消費税法二九条外の関連条項は、政治的・経済的又は社会的関係の差別にあたる法律によって消費者(上告人原告)を著しく、これいじょうにない不合理な差別的扱いを定めこれ以上にない不合理きわまりない不公平をさせることを規定するものであり憲法一四条の容認し得ないものであり、同条項に違反するものといわねばならない。

第七点 憲法一四条の法の下の平等第一項に違背する不合理きわまりない著しい不公平に依って前述消費税法及び関連法の違法行為をうけ、消費者として業者に差別的取引をやられ、消費者(上告人)の財産を奪われておりかかることは憲法の容認しないところであるといわねばならない。憲法二九条一項は、財産権はこれを犯してはならないと規定しており、かくなる税金でもなく国庫に入らないものを税金として徴収し、あるひは国庫に入れても全額企業に横領させるようなことを定める消費税法付則三条一項、税制改革法一〇条二項、消費税法二九条及び消費税法三七条一項、第九条一項、同法四〇条は消費者(上告人)を差別しその財産をりゃく奪するものを合法化したものであり、憲法一四条及び二九条一項に違反するものといわねばならない。

第七点 業者間の著しい不公平を規定する消費税法及関連法は、憲法一四条及び二九条に違背している違法がある。

まず富岡教授「は前述の消費税の不合理性を明らかにした中で」次のようにのべている。……それによると(大蔵省が昭和六三年二月五日衆議院税特委員会に提出した消費税の課税対象となる付加価値率(マージン率)二業者に分類した中で最もマージン率の高いのは、運輸。通信業の四三・五%、低いのは卸売の六・六%で業種によって相当の開きがある。マージン率を一般に一律二〇%ととみなしている簡易課税制度の差があまりに大きい。マージン率の高い業種は、消費者が納めた税金を横取りする益税となるが、マージン率の低い業種は、簡易課税制度の適用でかえって増税になってしまう。このことからも「消費税は」「業者間にも」新たな「不公平を生む不合理な税金」である。「この簡易課税制度のもつ「欠陥は」今回の「消費税のかかえている象徴的な不合理であり、この点からしても「消費税そのものが、いかに不公平な問題のある税金である」か解るであらうと。」即ち付則条項のおかげで「年間に二百億円消費者国民から一〇万都市の一年間の予算に近い二百億円も横領できるもの、百億円横取りできるもの、十億横取りできるもの、一億横取りできるもの、簡易課税で数千万横取りできるもの、数百万横取りできるもの、数一〇万数万横取りできるもの、とんとんのもの、事務負担で損するもの、免税業者で一部もうけるもの(わずか)消費税を上告人のように消費者に転嫁できず生活費で自己負担している被告ら国の公表されている四〇%二百万の零細業者(困りきって生きながらえている)かくの如く、一市の予算一ヶ町の予算額横取りしている大企業に国が消費者国民から集めた国民の財産を横取りさせることを正当化するひとかけら、みじんの合理性もないし、これを合理的税法だとする一審二審の判決を正当化できる理由は全く存在し得ないのである。国語辞典によると合理とは道理にかなうことであり不合理とは道理に反することとある。税法の中で道理とは何か。憲法一四条のいう法の下の平等の道理とは何か。それは前述の税法学、財政学、経済学の権威の学説のしるす通りであり、租税の公平負担であり、その言葉をお借りすれば「租税の公平負担は、まず、租税法律を定める場合に考慮せねばならない」のである。

租税の公平負担は……憲法の要請するところであるから、租税の公平負担に反するような立法は、憲法に違反して無効になる場合になる場合があらう。もっとも、租税負担の公平を欠くことがあっても、負担に差をつけることに、合理的な理由があれば、憲法違反とはならない。おそらく特に合理的な理由もないのに、負担の公平を欠き、不公平の程度が著しく、不公平の存在が明らかな場合は憲法違反とならう(前述金子宏。清水敬次。宮谷俊胤。畠山武。「税法入門」(第二版)(三四頁-三五頁)一社の大企業に消費者から集めた税金を一〇万都市の一年間の予算に価いするものを全額横取りさせるような付則条項に、二百億円も横取りさせるようなことまでに及ぶ付則条項に、全く合理的な理由が一切あろうはずはないといわねばならない。

日本を代表するような世界企業に消費者国民の財産を剥奪することにいかなる理由が存在するのか。むしろお世話になっている諸国民と日本国民にたくわえの中から返すことこそ彼等の義務と責任があるというべきではないかと思うのである。そして又企業が大きいから、消費者国民から集めた税金という名の金銭をかくも巨額の二百億だの、十億だの、一億だの、数千万なのと横取りでき、小さいからといって損をせねばならなんだり、横取りする額がとんとんとか少いというような法律による差別や不公平に合理的(道理にあった)だといえるような根拠や理由があるはずはないのである。

かくの如き、著しい事実に現われた不合理な業種間の不公平や差別は憲法十四条第一項の規定する例示的に挙げている憲法で禁止されているものとしかいいようのないものである。然るに企業の大きさや業種によるかくの如く事実に現われた巨額な数字に依って現われている不合理きわまりない、不公平と著しい不合理な差別は憲法十四条一項に違反し、それなる刑法の国及び私的財産を横領する横領罪にあてはまる行為によって財産権を侵害するものであり、憲法八四条に違反するものであり前述消費税法及び関係条項は無効とされねばならないのである。

第八点 憲法八四条は国に対しても企業個人に対しても恣意的な課税を禁止している。然るに消費税は恣意的な課税額が、国庫に入いると同額といえるぐらいある。それは憲法八四条違反だ。

「憲法八四条は、租税法律主義を定め、恣意的な課税から、国民を守り、よって経済生活の安定と予測可能性を保障することをその、機能としている」。「ジュリスト「憲法の争点」小島和司編(二三〇頁)「水野忠恒東北大学助教授担当論文参照(法律学の争点シリーズ2増刊(新版)号」

これに対し、一審判決は、「憲法自体はその内容について特に定めることをせず、これを法律の定めるところにゆだねている。租税法の改定及び改廃については、財政・経済・社会政策等の国政全般から総合的な政策判断及び課税要件等を定めるについての専門的な判断必要であることから、立法府の政策的技術的な判断に委ねられ、裁判所は、基本的にはその裁量的判断を尊重すべきである」としている。後論では判例の参照となっているが、それはこの消費税訴訟とは、内容において全くひつつけれるすじのものではないのである。世界の憲法の中で絶対君主の恣意的な(自分勝手な)課税から国民を守るために租税法律主義という道理が生れ、それが租税法律主義の原理となって憲法に規定され、日本国憲法も、この原理の中で租税法律主義が取入れられ、その中での立法が成されるべく、その意味をもって憲法八四条は「あらたに租税を課し、又は原行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする」と定めているのである。とともに立法にあたり絶対に守られれねばならないのは憲法の諸原理である。その条文規定と内容なのである。その憲法の八四条の恣意的な課税をどこで禁止しているかであるが、オーバーに税金を使うことも恣意的な課税で憲法の容認しないところといわねばならないが、そのはどめとなるのは、憲法第三〇条の納税の義務条項である。即ち「国民は法律の定めるところにより、納税の義務を負う」これしかないのである。この規定は日本国民は税金とならないものを一円たりとも税金として納める義務はないということ規定したものでもあると解す以外ないといわねばならない。

従って、第九点として税金でないものを税金としてとりたてることを定める消費税法及び関連法は「各条項、税制改革法一〇条二項、消費税法二九条、同法付則第三条一項、消費税法三七条一項、第九条一項、同法四〇条は、憲法の禁止している税金でない企業のもうけ横領を容認するものであり、憲法三〇条の違反するといわざるを得ないのである。

然るに、道理に反する不合理が事実として明らかであれば公平負担とともに租税法律主義を定める憲法八四条に反するといわざるを得ないのであるが、その不合理はとるにたらない許容される範囲のものなのか、巨大なのか、これが恣意的課税の著しい不合理として憲法違反の判断される基準とならざるを得ないのである。勿論憲法の国民主権と公務員の公僕としての義務においては、一切の恣意的な課税は絶対に(きままな自分勝手な課税は一円たりとも許されてはならないのであるが)許されないものである。

それではいくら国庫に入り、いくら横領されているのか。富岡幸雄中央大学教授はうれう。「驚くべき消費税の還付額(横領額)」

「次に問題にすべきは「還付額」だ。建設業にこの傾向は著しいが、消費税法の施行前に契約された建設工事等については、たとえ平成四年四月一日以後の売上に計上されたものであっても、その売上げ高には課されない、という経過規定(消費税法付則第三条一項)がある。ところが、「仕入れ等の三%は「まるまる」引けるのだから還付が生ずるのだ」。これが「駆けこみ受注を促し、大手の建設会社などは、「二年から三年分の契約を行い、大いに儲けている。(一社で一億円だの、十億円だの、百億円だのの消費者から税金という名で集められた国民一人一人の財産が、(五年、十年あるかも知れないが)三年間も横領され続けるのである)平成元年度の消費税の申告件数は、一九五万五〇〇〇件、そのうち還付申告がなんと一四万七千件で、実に七・五%にも及んでいる。これを金額でみると、申告税額の総額は、三兆七七五六億四五〇〇万円で、政府に入った歳入実額は、三兆二六九八億円だから、その差額の五〇五八億円が還付された額なのだらう。五千億円をこえる還付があったのである。この数字は、経過措置とはいえ、あまりにもひどすぎる多額さではないか。さてこのようにして消えた二兆六七〇〇億円の謎が明らかになってくる。国会審議の際に議論された消費税の課税対象は付加価値だった。平成元年度の付加価値額は、大蔵省の発表によると一九八兆円だ。消費税の歳入見込額は、これに三%かけた五兆九四〇〇億円だった。ところが歳入実額は三兆二六九八億だった。差引二兆六千七百億円はどこに消えたのか。二兆円をこえる巨額の金額が行方不明となれば大事件でなくてはならない。

この行方不明の原因は三っつある。第一は帳簿方式による「アバウト課税」などの消費税の仕組の不透明さのために、本来納めるべき額が徴収されなかったこと。第二は消費者はきちんと納めたが、その一部が業者の手元に残って「益税」となった部分があること。第三は、税金は業者も消費者も、納め、めでたく国庫に入ったが、ご丁ねえにも税務署が還付で戻してやったこと。これらが二兆六七百億円の原因なのである」「月刊サンサーラ六月号三三八頁 富岡幸雄教授の(TAX爆弾発見=増税になる消費税の緊急見直しの警告 三四〇頁参照)

まずは付則(消費税法の)第三条による国庫に入れさせつつその間々業者に横取りさせている額が平成元年度だけで五千五八億もあるのである。その件数は一四万七千件も明らかにでているのである。税金として消費者国民(上告人)の財産を徴収しつつ実はその金額が、一握り業者に合法化という網をくぐらせて横領させるものだったのである。このことにどこに合理性があるのだ。第一審判決のいう合理性とは他人の財産を何んの根拠もなく剥奪させることを合法化している消費税のどの部分をみても見渡らないのである。さらに簡易課税その他をいれると恣意的な課税額は、何んと許されるはずもなく二兆六千七百億円あまりにも巨額過ぎるのである。然も国庫に入るのは三兆二千六百億円、同額に近い被告の国らが公表した額だけをみてもあるのである。これが不合理でなくていかなる不合理があるというのか。これこそ憲法一四条に違反し、業者を特別に扱い消費者を著しく差別している証拠そのものである。そして憲法八四条の求めている恣意的な課税の禁止に違反する証拠である。そして憲法三〇条の納税義務条項に違反する証拠である。これらは恣意的な課税であるばかりではなく犯罪そのものなのである。合理的(道義にかなう)とは、全額国庫に入いるということである。それが消費税においては、国庫に入る額に近い、恣意的な課税をし、それを租税にしないで一部の者に横取りさせているのである。こんな不合理な課税を憲法は容認しないものといわねばならない。

一 租税法律主義の趣旨(秋田地判昭五四・四・二七、行集三〇巻四号八九一頁)--秋田市民国民健康保険税条令訴訟--(仙台高裁支部支持) 租税法律主義と課税要件の明確性、請求認容--

「租税法律主義は、租税要件、法定することにより、行政庁の恣意的な課税を挑し……法的安定性と予測可能性を付与することを目的とするものであって……法律の根拠のない……租税の賦課は許されない。……課税の根拠……に関する実体規定はもとより……手続規定についても正当な立法手続をえた法律によることを要し……その内容一義的で明確であることが要請される」

即ちまず消費税法の付則三条によって消費者国民(上告人)から消費税として売上の三%徴収したものを施行前に契約した工事外は還付するとあるが、それをどのように使うか、その所有権は誰にあるのか、還付するといっても、返すというのなら単に預っているに過ぎない業者のものになるはずもなく、あらゆる流通の原則からいっていらないのなら本来もとのその財産の持主である消費者にかえってくるべき物であり、預ったものが横取すべきものではないはずである。もし預った者に横取させるのなら預ったものに横取りさせることを法律で明記し、又その預った者に渡す根拠も、法律で明記されねばならない。やはり秋立地裁で判示され、仙台高裁で認容された前述判示の通り、消費税法二九条。税制改革法一〇条二項で金取引に3/100の課税するとしつつ消費税法付則で消費者からとりたてたその消費者の財産を全額還付するとあるが、誰のものになるという最重要且つ根幹をなす規定は関連六法案のどこにもないのである。従って法律の根拠のない私有財産を剥奪し、法律のアミを通すだけで横領を行わしめているといわねばならず、従って、法律の根拠のない租税の賦課は許されないし。課税の根拠即ち巨大巨額な(五千五八億もでることは被告らは計算できたはずなのに)税としない財産権の侵害が生じるのに、その課税の根拠を法定せねばならないのを法定していないのであり、又その分は返すのかどうするのかという……課税の根拠の実態規定はもとより、どうするという手続規定についても正当な立法手続をえた法律によることを要するのは、この判示の通りである。然もその内容は一義的でなくてはならないのである。然るに、平成元年度においてこれをみると消費税の申告件数、一九五万五千件の内の一四万七千件であり、これは件数なので一業者あるひは一社にかなり件数はでているので本のわずかの者が付則三条によって黒い金を得て得をしている。上は一社に二百億近く横取させるのだから、誰が考えても一義的ではない。明確性もないのである。

4 課税総額認定の不明確

本件二条にいう「当該年度の初日における療養の給付及び療養費の支給に要する費用の総額の見込額を控除した額」という規定自体、客観的一義的に明確でなく、その額の認定については裁量による判断、必要とすると解されるうえ……課税要件をなす課税総額の認定を課税庁である被告の裁量に任せた趣旨と解する外なく……課税要件である税率の決定について、被告の裁量を許容するものとみるべきであって……課税総額及び税率が賦課期日現在において一義的・客観的に決まり被告の税額確定手続を経由することにより、課税学が具体的に確定すると解することは困難である。

5 条例規定の不備

課税要件を定めた本件条例……の規定は一義的明確を欠き……被保険者らにおいて……課税総額及び税率を認知し得ないため課税額を予測することは不可能であるうえ……法的安定性と予測可能性を付与することを目的とする租税法律主義の原則に反する。……本件条例二条及び六条の規定は憲法八四条に違反し、無効であって右条例に基づいてなされた本件賦課処分は違法である。……」コメント 本件控訴審の仙台高裁秋田支部 昭和五七・七・二三、判時一〇五二号三頁も同旨 新版憲法判例(増補版)池田政章。阿部照哉。編(二七九-二八〇)

付則三条の違憲であることは、この租税法律主義の原則に全く反するものであるが、さらに簡易課税におけみなし税率、限界控除及び免税条項も又この租税法律主義に反することは明らかである。まず簡易課税は大蔵省が前述富岡教授が参照した衆議院税特委員会に提出した消費税の課税となる付加価値率でも、一一業種という大まかな分類にも拘らず、高い方は、運輸。通信業の四三・五%、低いのは卸売の六・六%であり、三七・九%もの大差がある。このことは、自ら提出している書類によって明確であり、知っての上の故意によって法案作成をやり且つ計画的な意図的なものとして予想しつつ、行政府内閣が策定し、内閣を代表して竹下被告(首相)が国会に提出し、国会は大型間接税をやらないと国民に選挙で公約した政府自民党多数に依って可決され、内閣に依って実施されているのである。次に、課税対象の総理府統計局の基準としている昭和五四年という一三年も前でさえ次のような、商工庶業等所得標準率表があって、そこでも、所得率に大差があることが税務当局において課税計算に適用されているのである。それによると所得率の低いのはたばこの六・一%、ガソリンスタンド一〇・〇〇%。酒類の一二・二%。雑誌などの一二・八%。電器具一三・一%。

五〇%以上の高い方をあげると、バー都市部五九・五%。その他五三・三。スタンド大都市五三・八。その他四八・四。同伴旅館六五・四。クリーニング六一・九。理容店七七・七。美容五八・六。マージャン六八・七。溶場五八・六。貸本六五・〇。そう儀七〇・〇。置屋七〇・〇。個人タクシー五四・二。貸金八五・三。不動産七三・五。マッサージ七〇・〇、まんざいし七〇・〇。

野球選手五〇〇万以上七五・〇。ボクサー七〇・〇。生保外交員五六・〇。大工左官七〇・〇。ホステス一〇〇万以上五五・〇。開業医内科六五。外科六六。産婦人科七〇。眼科歯科六六。会計士弁護士会計士税理士七〇。作家五〇万超六〇。鑑定人六〇。作曲家六〇。作詞家六五。声楽七〇。声優六五。映画俳優五〇。家元等師匠七〇・五。易者僧七〇。ダンサー六五。芸五〇又五五又は六五。

等々である。これからみてもいかに仕入れの格差が大きいかを立証している。簡易課税で二〇%でみなしているが、ほとんどのもうかる業者はその二・五倍であり業者が一〇〇万国に納めても一五〇万円残こるのである。国に納める一・五倍も、消費者から集めるような不合理(道理に反する)なことが堂々と行われているのであり、現判決がいうような事務負担の軽減において消費税の転嫁のためといえるような本のわずかの不合理ではないのである。

そして又、利益率。所得率も、大都市部と小都市、人口の多いい地区と少ない地区、都市部と郡部都道府県の違い。都道府県の地域の違いその他雇用人数あらゆる条件に又はその違いによって大きな違いがあるのである。あるゆる条件環境によつても、仕入率は違うのである。そういう実体があるのに、それを無視して九〇%八〇%の仕入れ率を確定させているのであって、それら最も重要な租税法律主義の実体の法定性がないのである。この点からしても、簡易課税制度は憲法八四条の求める租税法律主義の原則に違反するものだといわざるを得ないのである。次にかくなるものが一義的でないことは、そのことずばりであり、又消費者(原告上告人)にとって課税要件である税率の決定について業者の裁量に許容されているとしかいいようなく、課税総額及び税率が一義的、客観的に決り課税額が事実に基づいて具体的に確定し、被告らによって租税として集められたものが租税として国民へのサービスに使われるという保障は成りたたないものである。

法律規定の不備

消費税法二九条、税制改革法一〇条二項は、あらゆる流通や売上に三%消費税を付加すると規定しながら、その全額が国税となって国民の福祉とサービスとして使われねばならないのに、業者と被告との談合に依って消費者(上告人)から集めた消費者の財産を業者に分どり横取させるために、消費税法三七条一項を定め、みなし課税によって課税の根拠である具体規定を無法律にし、課税を実体のない無明確なものにし、課税総額の認定を不明確なものにし、又業者の裁量によるものにし、一義的明確を欠き、消費者にとって課税総額及び全体の税目的を認知し得ないため課税額及び課税内容を予測すること不可能であり、法的安定性と予測可能性を付与することを目的とする租税法律主義の原則に反する。消費税法三七条一項は憲法八四条に違反し無効であるといわねばならないのである。

免税条項も違憲

消費税法九条一項では三〇〇〇万以下の業者の免税を定めている。法人企業統計年報、事業所統計調査報告によると売上高三千万以下の企業数(昭和六一年)は四一四万五千社、全企業の六八・二%である。その売上額は三四兆七千億円である。その四〇%は消費税を消費者に転嫁できず、ささいな生活費で自己負担して生存権を侵害されて困っているのである。即ち、転嫁できてちょっぴり得をしている零細業者と転嫁できず、生活費で自己負担して生活苦の中で生きている者と便乗値上げしているやり得の業者とこの三つに分かれているものであるが、本当にこの業者達は一人一人でみるとようやく生きている方達である。従って上告人はここには一定の弱者対策があって叱るべきだと考えるものであり、簡易課税業者(三七条一項)消費税法付則三条による全額免税及び限界控除業者とは異なり、生存権保障や幸福追究の権利及び職業選択の自由(生活権)の保障を規定している憲法の諸条項の実施拡大の国政の問題を最重視する原則の中で処理されるべきものと考えるものである。

然しそれは、税として集めた消費者一人一人の尊ぶべき財産を横領させるという違法によって成されることは許されないといっているのである。要するにこれ以上に弱者いじめは許されないが、やはり、免税業者の四百円のうどんが消費税実施後四五〇円になったり、過剰な課税が日常茶飯事の如くなされ、業界により、地域によりさまざまな転嫁を名目の個人個人の恣意的な課税が成されている。これらはすべて消費者(上告人)らにおいて課税総額及び税率を認知し得ないため、課税額を予測することは不可能であり、それらは課税要件の実体的具体的法定性がないためであり、一義的明確性が欠けているためであって、法的安定性と予測可能性を付与する事を目的とする租税法律主義の原則に反し、憲法八四条に違反し、無効というべき以外ないといわざるを得ないのである。さらにその違法行為に依って消費者上告人の財産を侵害するものであり、財産権を保障する憲法二九条に違反し、無効であり、民法七〇九条の不法行為にあたるものであり損害賠償の責に任じねばならず、国賠法においても被告らの計画で故意の違法行為でありつぐなうのは当然だといわねばならない。

第九点 消費税における計画的違法の真実

まず政府の税制調査会委員として消費税法の策定に直接かかわった五十畑隆氏は次のように述べている。

「政府自民党は、この見なし仕入高を卸売業者の場合は一〇%分だけ課税、それ以外の業者の場合は二〇%分課税とした。この結果、卸売業者は売上高の〇・三%、その他の業者の場合は〇・六%が、消費税の負担率となる。売上税案では、この制度のうけられる簡囲を免税範囲と同じ一億円以下としていたが、今度の消費税では、中小商工業者の要望をいれて拡充した(五億円に)「消費税の仕組と実際」大島隆夫監修 五十畑隆著(二九頁)(勿論五十畑氏は消費税を審議した政府税制調査会委員である)のである。要するに憲法の理念に立った人間的平等と正義、基本的人権尊重主義及び主権在民主義を主幹とする憲法が求め、要請している基本原則を基に税制改革をすべきなのに、そうしたのではなくて、それにかかわった政府税調委員が正しくその著作で述べているように、いかにして税という名で集めた国民一人一人の財産をいかに集めて分け合うかを決めているに過ぎないのである。その談合が簡易課税の条項として規定されているだけなのである。金配りで根回わしして田中派を吾が手にしその力で首相になった。竹下総理の作った消費税の根幹をなすのは金配りの談合によって作られた竹下消費税といっても過言ではないのである。

富岡教授は「導入される「消費税」の特徴と問題点」……その構造的欠陥と不合理性の解明--(商学論纂一二〇巻 第三号 抜刷一九八八年二月三〇日発行--中央大学商学研究会)の四〇頁で結論として次のように、消費税の持つ矛盾と不合理性を分析し明らかにしている。(1)帳簿方式では、売上高や仕入高、諸経費の勘定課目を包括的に把握するため、各々の勘定課目の中に、課税取引と非課税取引が混在していては計算できなくなる。もしすべての取引について課税か、非課税かを精査するのであれば、かえって、「インポイス式」のほうが効率的であり、何んのために帳簿方式を採用したか意味がなくなってしまう。

(2)画一的で一律三%の単一税率とし、悪平等課課税の欠陥を拡大している。単一税制を採用しているが、もともと、大型間接税は逆進性が強いので、これを少しでも弱めるために、付加価値税を採用しているヨーロッパでは、多くの国で標準税率のほかに軽減税率と割増税率とを設けている。いくら消費が多様化したといっても、ミンクの毛皮やダイヤモンドと作業服が同じ税率ではおかしい。ぜいたく品には割増税率をかけ、生活必需品には軽減、税率をかけるとように、消費の質におおじて、負担能力に差等を認識することが、租税の基本理念に即した租税の仕方である。この「帳簿方式」を軸にしたことが、今回の消費税を、一ソー逆進性が強く、不公平きわまりないものにし、救い難い欠陥税制としてしまっている。」と。とどのつまり弱者いじめの消費税こそ問題であるが、要する帳簿方式という表向きかっこいいものに見えるが、その中にかくしてしまってごまかしの中で、竹下首相らによって税金ドロボーにされ、ならされてしまっているのである。その額が年間二兆六千七百億円もでているのである。国庫に入るのは何んと税金として私達消費者非転嫁者から五兆九千三九八億円とりたてておきつつ、国庫には、その半分よりちょっと多いい三兆二千六九八億だけ入って、後の残り、二兆六千七百億円横領され、闇に消えていっているのである。半分は一握りの業者のものになり、その四分の一は世界を動かす巨大日本企業に横取りされているのである。この一年間五〇五八億円世界メジャーともいっていい大企業世界独占資本とさえなっている大企業に横取りされているのである。

然るにそれは課税要件の実体や手続きすべての法定性がないためであり、法が不備であるのみならず、消費者の大切な財産を闇にほうむり去っている消費税の欠陥と違法性であり、総じて私達消費者非転嫁者に課税総額及び課税実体や税率を予測することは不可能であって、法的安定性を予測可能性を付与することを目的とする租税法律主義の原則に反するものである。本件消費税法三七条一項、付則三条、消費税法四〇条、同法九条一項、税制改革法一〇条二項、消費税法二九条は、憲法のとうてい容認できず禁止している、国庫に入らず租税とならない企業のもうけ、巨額な二兆六千七百億にも及び国庫に入るに近い横領、刑法二五三条の国金及び私的財産の横領にあたる犯罪を認めるものであり、租税の根拠のない租税の賦課は許されない。それらについてとりたてる根拠課税要件の法定性が全くなく且つ一義的明確性(実際は横領という犯罪を合法化することになるため)を全く欠き、課税目的、課税総額、課税基準が消費者(上告人)に認知し得ず、課税の実態、使い道、その他を予測することは不可能であって、法的安定性、予測可能性を付与することを目的とする租税法律主義の原則に反し、憲法八四条に反し違憲無効といわなければならない。然るに違法であり民法七〇九条の不法行為にあたるものであり、損害賠償に任じねばならぬのは当然であり公務員の違法行為であり国賠法の適用されるのも当然である。

第一〇点 税でないものをとりたて横領させるのは憲法三〇条、刑法二五三条に違反する違法である、違法の財産権侵害である。

まずこれもくり返しになるけれ共、税についての学説を明示し、二兆六千七百億円の国庫に入らず横領される巨額の国民の財産について学説から明確にし、違憲違法のこの黒いアバウト税法の違法性、政治悪、社会悪の存在を明らかにしたい。一審二審に続いてくり返し参照となるが、お許し願いたい。くり返さざるを得ないところに不動の学説の真理の輝きがあるからである。

「ところで日常用いられる租税の語は、「財政学及び租税法学における租税の定義はほぼ一致しているといってよい。」財政学者の汐見三郎博士は--「租税とは……国家公共団体が、「一般経費を支弁する目的で財政権により、一般人民から強制的に徴収する財なり」と定義される」(租税論 昭和二三年二頁)「近代経済学者によると「公共部門が経済活動を行う際の財源調達のための、民間部門から強制的に徴収する収入である」との定義。」金子宏外編(租税法学講座)(昭和四九年一頁 執筆者 貝塚啓明)も表現は異なるが「ほぼ同一内容を示していると思われる」租税法学についてみると「特別の役務に対する、反対給付の意思を有せず、収入の目的をもって、国家又は地方団体が、一般国民に賦課する金銭給付である」とする杉村章三郎教授の定義」(租税(1)新法学全集 昭和二年一頁)を始めほぼ同一の定義がなされてきた。

帝国税法論 鈴木繁(大正八年三頁)「国又は地方公共団体が公共の需要を充たすがために法律をもって規定したる一定の標準により、無償且つ強制的権力をもって人民より賦課徴収する金銭なり」(田中二郎「税法(新版)昭和五六年一頁」清水敬次「新版税法」昭和五五年三頁)金子宏「租税法補正版」昭和五六年七頁)小島和司編 ジュリスト「憲法の争点」二・二八頁)「租税の意義」碓井光明横浜国立大学助教授担当論参照)」従って租税とは国及び地方公共団体が国民のサービスのための経費を法律をもって強制的に徴収する財(金銭)以外の何物でもないのである。とすると消費税法の規定の中で付則三条消費者(上告人)から集めた三%分全額は租税ではないのである。合せて九条一項の部分も。三七条の部分も、四〇条の部分も、税では、租税ではないのである。まず平成元年度消費税法付則三条で集めた五千五八億円は始めから租税ではないものを消費者国民から憲法二九条に違反し消費者国民の財産権を侵害して集められた違法なものなのである。これ程不合理(道理に反する)なことはないのである。それはそっくりその間に消費者国民(上告人原告)に返す以外誰が考えてもないのである。それを横取剥奪させるとしたらもはや民事事件ではなく、刑事事件であり、刑法二五三条で処罰されねばならない問題なのである。これを原判決は合理的税法であるといっているのであって、その合理的という言葉の意味で道理にかなうということがどうしていえるのか、理解にさえ苦しむのである。次に簡易課税制度であるが被告の国らは租税とならない金を消費者国民(上告人原告)から集めることを承知の上で、営利業界と談合し、消費者という他人から税という名で集めつつ、実際は、業者に横領させるように条文化しているところに違法を行成させた問題が生れているのである。

次に竹下首相はむしろ違法をすることによって生れる問題を本すじとして、売上税の一億円から五億円に拡大し、違反拡大せしている。いかに違法が消費税法の本すじであったか明かなのである。富岡教授が学説に引用した衆議院税特委員会に提出した(被告国の大蔵省)消費税の付加価値率(課税対象の)高い運輸・通信業と低い卸業では三七・九%もの大差、二倍以上の大差があるし、上告人前述の総理府統計局の昭和五四年のものでも、利益率からみるとほとんど位どころではなく、五〇%以上なのである。医師産婦人科は、家元七五であり、たばこの六・一%は別としてガソリンスタンドの利益率一〇%、家元は七・五倍の利益率があるのである。表向き課税標準より高い利益率もあるし、そういうことの中で等しくみても、国へ平成元年度入った消費税収入、三兆七七五六億円より、アバウト課税、黒い課税の方が多く四兆円に近いのではないかと思われるのは、この簡易課税のアバウトの大きさ、どす黒さであり、税制改革を国民や国家百年の大計ではなくて、業者との取引き政治資金を集める手段に変えてしまっている政府自民党税調の反国民的姿であり、政官財ゆちゃくの構造の中で作られた竹下消費税のアバウト黒い税法なのである。

富岡教授が政府の予算実体の中でプラスマイナスした数字二兆七千六百億としても、その巨額な国民の一人一人の財産が、租税として国民のために使われず、業者の横取り横領になり、あるひは政治資金として逆流し政治家の手に渡り、政治ふ敗と同じうしながら社会をむしばみ続けているのであり、正に五千億の佐川急便、共和銀行と疑わく汚職疑獄の中の国は止まることを知らず闇の国へおちつづけているのである。然し法律は憲法の理念をふみにじることは許されないのである。竹下消費税が業者に消費者から集めた金消費税をその間々付則条項で横取させた額が何んと五千五八億円佐川急便の黒い部分五千億円と一致するのである。国も佐川と同じぐらいの所まで竹下被告らによっておとしこまれているのである。これは銀行疑わく佐川疑獄、共和疑わくと同じような仕かけであり、全く同質なものである。佐川等はニセ文書でおおって成されているが、消費税法は法律の中に他人から集めたものを分どる横取りする条項を作って同じことをやっているに過ぎないのである。どちらも大義名分をつけてはいるが不正であること違法であることは同じである。 唯それだけのことなのである。その額が表面に出てきた数字で二兆七千六百億円もある。そこに憲法の理念に立った気持もなければ、政治哲学もない。使いすぎて足らなくなると困るから金のなる木を作る。それが消費税であった。そう考えて始めてこの巨大な黒い消費者の財産横領の理由はやっと理解できるのである。然し二兆七千六百億及び不明の消費税として集められている闇のアバウト課税恣意的な巨額な国民の財産は、租税ではない。租税ならば国及び地方公共団体の少くとも経費とならねばならない。始めから業者の物になり、国庫に入れても五千五八億円は、業者に横取りさせるためのカムフラージに過ぎず、業者のものになるために仕かけているだけである。とすれば何を持って集めているのか。集める根拠はどこにもない。税ならばたった一つ基本法たる憲法にある。それは憲法三十条だ。それにはこう書いてある。即ち「国民は法律の定めることろにより納税の義務を負う」と。そしてその前に二九条ではこう書いてある。

即ち財産権はこれを犯してはならない、と。二項では、財産権は公共の福祉に適合するように法律でこれを定めるとあるが、他人に横領されることを認めるという条項は憲法のどこにもない。他の法律もないが、憲法にないものを他の法律でそれに反して作ってとりたてることはできるはずもないのである。然るに憲法三〇条は、国民に納税の義務を負わしているので私達国民はサービスをうけるために税金を納めねばならない。然しと同時に税金とならないものを払わなくてもよいという三〇条は保障になっており、さらに税金以外で財産権を侵害されないことを前条の二九条で定めているのである。

然もやむなく公共のために、用いる時は、正当な補償のもとに用いられると同条二項は規定しているのである。財産権はかかる如く、二重な保障のもとに憲法で守られているのである。

勿論租税となるとまったく無償で強制であって然る故に、国及び地方公共団体の経費を無償で強制的に徴収する金銭」というのが、財政学、近代経済学、租税法学、その他すべての学界の一致した学説となっているのである。

国及び地方公共団体の経費とならないものは、租税ではないことは、道理のおもむくところである。勿論集めた時はいちおう、税という建まえはできるかも知れない。然し業者の手に残ることが確定した時は、一切租税としての形態はなくなっているのであり、そのしゅん間から財産権の侵害となり、横領になっていくのは事実関係において明確であるといわねばならない。現判決がいっている様な納税義務の負担軽減の政策目的であるというような善意の問題ではない。困っているから、難しいから、ドロボウをさしても良いという事にはならない。いかなる主義主張の社会であれ、悪いものは悪いのであり、いかなる社会でも、そういう不正は許されないものである。「赤信号」多勢で通れば怖わくない。被告らの無理を通せば、道理がへっこんでいるだけでしかない。事務負担の軽減だというのなら、納税組合と同じく取扱い手数料を法律で定めてだせばいいのである。自分勝手恣意的に集めて横取りさせることとそういう論理とは全く別の問題であり、然る故にあらゆるものに法定性がいり、一義的明確性がいり、それのない不明ろうな課税は近代国家の中では禁止されているのであり、だからこそ消費税法のこの黒い部分はそれらを付与していないため、憲法の求める租税法律主義の原則に違背しているゆえんなのである。

要するに租税とならない二兆七千六百億円及び算定されていない業者の恣意的な課税によって生れている金、計算されていない簡易課税の黒い巨大なとりたて横領金は租税でないのは学説の通りである。それはすべて義務のないものを徴収しているのであり、それを禁止している憲法三〇条そしてそんな違法行為で財産権を侵害するものであるので二九条に違反し、無効とされねばならず、損害賠償せねばならないのは、民法七〇九条の定める通りであり、国賠法の賠償責任も又当然である。

第一〇点 弱者いじめで不公平且つ不公正な消費税は違憲

--弱者いじめの消費税の苛酷な実体--

「次に問題とすべきは、消費税の本質的な病理体質である「逆進性」つまり逆累進性が、いかに苛酷な現実を庶民にもたらしたかである。

日本生活協同組合連合会が、昨年、全国の組合員二四八世帯(調査世帯の世帯主の平均年齢五〇・四才、平均家族数は三・八人、平均年収は六六五万円)の消費税負担額をまとめた調査がある。それによると消費税負担額の総平均は、一世帯あたり一〇万四一三七円で年収の一・六%を占めている。この金額は育ちざかりの子供がいる四人家族の一ヶ月分の食費に相当する。バカにできない額だ。

調査世帯の年収は、一二九万円から、一七三四万円までのバラツキがあるから、消費税の負担額二万四一六〇円から、三〇万九四八七円までの幅となる。これは当然だが、問題は、年収の高世帯程消費税の負担率が低く、年収の低い世帯ほど負担率が高いという。逆累進性がはっきりみられることだ。この逆累進性が消費税の最大の欠陥なのだ。具体的にみると年収三百万円未満の世帯の消費税負担は、五万七二八七円、少ないようにみえるが、収入に占める割合は、二・四%にも達している。ところが年収一千万円を超える世帯の負担額は、一四万九一八二円、その絶対額は、高いが収入に占める割合は一・三%とずいぶん低い。年収の増えない年金世帯の負担は、いちだんときびしい。この調査には五四の年金世帯も加わっていて、その平均消費税負担額は、六万六〇九六円、収入に占める割合は、一・八%だ、一方一九四の給与世帯の消費税負担額は、一一万四七二六円で年収の一・五%である。年金世帯の負担額は、給与世帯の負担額にくらべて、〇・三ポイントも高い。年金世帯は収入が低いから収入のほとんどが生活費にまわる。なかには、消費税が、年金収入の四・九%を超えた世帯もあったという。年金だけの収入では暮しがまかなえないので、今までの蓄えを崩したり、子供からの援助で暮しているからだ。こうした人々に対してこそ、消費税は苛酷なのである」(雑誌サンサーラ一九九九 6月号)三三八頁 富岡幸雄のTAX爆弾発言……「増税になる消費税の緊急見直しに警告」(三四〇頁--三四一頁参照)

上告人が逆進的で弱者いじめの消費税といっているのは富岡教授のいうこのことであり、自ら実際に直面した事実をいっているのである。この日本生活協同組合連合会の年間調査でも明かな様に、そして富岡教授の分析で明らかにされているように消費税の弱者に苛酷な弱者へのしわよせという最大の欠陥こそ消費税法が作りだしている象徴的な不合理性なのである。

第一点は、前述の通り、完成工事高二兆円の一国の(中ぐらいの国)予算を超える大独占世界企業に一年間で百九十億円も巨額な金、それも他人である消費者国民から集めた国民一人一人の財産を分けあたえ、横取横領させる規定まで消費税法は付則条項三条で定め、然もそれは三年続こうが十年続こうがおかまえなしなのである。最低三%消費者から集めた全額を自分のものとしてネコババできるだけの契約を大企業のみ持っているとのことであるが、三年間でもこの不正な横領金は五七〇億円である。さらに平成元年度が、五千五八億円なのでそれを三年間続くとしたら驚くなかれ何んと一兆五千一七四億円。多くの小さい国の予算額にも及ぶのである。千五百億円あれば老人ヘルパー問題は解決するのである。又合わせて明らかになっただけで他人である消費者国民(上告人)から集めた横領金の額は二兆七千六百億円、十年続くと二七兆六千億円になるのである。これが不合理でなくてどんな不合理があるのか。

この事実に現われた巨悪巨大な不合理(道理に反すること)が不合理でないというのなら、この宇宙の上に不合理なるものは存在しないのではないかといわねばならない。これは消費税法そのもの自体が強者をもうけさせ、弱者いじめの上の体質をもっているからである。それは日本生活協同組合連合会の前述の調査について富岡教授がいわれている様に、年収三百万円未満の消費税の収入に占める負担率の割合は二・四%。一千万円を超える世帯の収入に占める割合は、一・三%、年金世帯の消費税負担額は六万六〇九六円収入に占める割合は一・八%。給与世帯の消費税負担額は、二万四七二六円。年収の一・五%である。富岡教授の言葉をお借りすれば、当然に「年金世帯の負担額は、給与世帯の負担額にくらべて〇・三%も高い。年金世帯は収入が低いから、収入のほとんどが生活費にまわる。なかには消費税が年金収入の四・九%を超えた世帯もあったという。年金だけの収入では暮らしがまかなえないので、今までの蓄えを崩したり、子供からの援助で暮らしているからだ。こうした人々に対してこそ消費税は苛酷なのである。」……そうなのである。

上告人も又零細な業者であって、その収入のほとんどは生活費なのである。上告人はよるは午後十時からパチンコ店にそうじにいっている。あまりねてはいない。この上告の理由書も夜明かししつつ書いている。うろちよろでもしていると破産し人にごめいわくをかける。ねるのをちぢめ、体を長時間酷使して生きている。たった一つの誇りは、そうすることによって五十年他人にめいわくをかけずに生きれたことだ。それは、金持ちにとっては当然かも知れない。然しそのために闘い続けている弱者を思う時、めがしらがあつくなってしまうのだ。今日も夜明かしでこの上告理由書を書いているが、調べ外でもう、気がついたら夜が明けていたというのが十日もあった。仕事に行っても倒れそうになる。でも私は訴えることをやめない。そこに正義があり、弱者の悲しい叫びがあり、日本と日本国民の不幸な原因をみた以上、倒れても起きあがれるまで続ける。この思いでいうのである。まず租税の公平負担の憲法の原則に反して、低所得者、年金生活者、母子家庭等々社会的弱者に対して、生活権、職業選択の自由及び生存権を侵害しないよう法制定に際して被告らは努める義務があるにも拘らず、一方の強者であり、人格権をもたない年間二兆円も工事をやる大企業には一年に百九十億円も他人が納めた他人の財産を横取りさせ、さらにその総額は年間五千五八億もまるごと横領させることを規定して横取させていることは、年金生活者であること低所得者であること零細業者であることという社会的弱者であることだけの理由で法律によって差別するもので、このような不合理きわまりない差別やあまりにも巨額巨大な事実に現われた不公平は、憲法一四条の定める法の下の平等の例示している政治的、社会的、経済的差別で同条項に反するものといわねばならない。

二 消費税は社会的弱者の生存権、職業選択の自由を侵害している。零細業者も同じ。

憲法二五条は「生存権、国の社会的使命」〈1〉すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する

2 国はすべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。と」消費税法を策定するにあたり、国や内閣が努めねばならないのは、前述の憲法十四条の法の上の平等であり、次には同法十三条の個人の尊重であり、又同法二九条の財産権を侵害しないかどうかであり、そしてその中で同法一二条の職業選択の自由を阻害するかどうか並びに同法二五条の生存権保障と国の義務に関しである。その憲法二五条の生存権を侵害しないこと、二項の義務と両立するかどうかであるが、事実としては低所得者程収入に占める消費税の負担率の割合が高いということは低所得者に苛酷な逆累進性があるということであって法の存在自体がこの生存権を侵害しているものである。二項では、社会保障、社会福祉の増進向上を被告ら国に義務づけられており、この二項がある以上、年金生活者や低所得者(上告人)の生存権を向上増進に努めなければならないのであるから、今現在を向上増進させないことでも憲法の規定に反するものである。然るに消費税法によって生存権を侵害することは許されないのである。

一方的に消費税を負担させられて生活費で負担し生存権を侵害されながら、他方ではその負担した消費税によって何んの渡さねばならぬ憲法上の義務のない大企業一社に一九〇億円だの数一〇億だの一億だの一〇億だの、一億だの(付則条項)と他人の財産を集めさせて全額横取させ、他のその一部横領させる条項(簡易課税条項・外)まで定め、社会福祉、社会保障の施策を行じねばならぬ憲法二五条二項で義務がある、低所得者、おとしより、年金生活者、母子家庭、生活に困っている零細業者に対し生活権を侵害しない生存権保障の規定を定めていないのである。それは低所得者にとっては、その収入のほとんどが生活費であり、いみじくも富岡教授が不合理な消費税の欠陥としてあげていられる、生活必需品には消費税に軽滅税率、ぜいたく品には割増税率、食料品非課税等の条項があって然るべきなのに、それさえもしていないことをみても、いかに著しい不公平な悪平等で不公正な消費税法であるか、明らかであり、それはその間々憲法二五条違反の証拠となっているといわねばならない。即ち弱者に光をあたえること、それは人間の尊厳と個人の尊重を原則とする憲法全体の求めているところであり、その政策立案に順則とせねばならぬ憲法の条項こそ、憲法二五条の生存権保障であるといわなばならない。然るに多国籍企業にさえなっている巨大企業に何十億とか何百億とか、一社に弱者からも集めた消費税の三%全額を横領させる条項を作くるいかなる法的根拠もないのであり、それは憲法の容認しないものといわねばならないが、とともにその消費税によって生存権保障すべき社会的弱者の生活を脅やし、逆累進的に消費税が作用し、社会的弱者に苛酷であるとしたら、それが法改正ではなく新たな法律によって成されているとしたら、それは憲法二五条の容認できないものといわねばならない。何んのために五千五八億円も、消費者という他人(上告人)から集めた金を三%分全額横取りさせねばならないのか、被告らは答えねばならない。裁判所も憲法の番人だと憲法で定められているのであり、この不条理、不合理、不平等きわまりなくて、不正犯罪そのものであるこの消費税法の、悪らつ非道に目をつむってもらっては困るのである。低所得者年金生活者の収入に対する負担割合いの高さと多国籍企業に対する巨額な他人から集めた消費税を全額横領させる仕組、簡易課税のアバウト性、他に表面にでないアバウト課税のはびこり、これを並べただけでも憲法一四条同法二二条そして二五条の生存権条項に違反していることは明白である。

第二点 消費税は零細業者の生存権、職業選択の自由を侵害している。憲法二二条、二五条に違反し無効である。消費税法の策定にかかわった税調委員五十畑隆氏はその著書で次のように述べている。

「竹下首相は、税革関連六法案を審議した第一一三回臨時国会で消費税について八っつ懸念があると表明した。いい換えると、円滑に実施するために、政府が努力すべき事柄、問題点があるということで、その中でも、転嫁の問題を指摘している。つまり、政府としては、事業者が、消費税を転嫁できるような行政措置をとるという意味である。しかし反面で、消費税の導入で便乗値上げが行われる。という指摘も行われている。便乗値上げができる業者もいれば、転嫁できない業者もいる。というのが真実だが、始めから転嫁できない、と決めてかかっているのは疑問がある。納税義務者は、消費税を消費者に転嫁する努力をすることが、この問題を解決する基本的な条件だ」と(被告の国らも、そして消費税導入を被告らの願い通りよしとした政府税制調査会の方も(1)便乗値上げのできる業者もいればできない業者もいること、(2)転嫁できない業者もでる。このことは知っていたのである。それが真実であることは、五十畑氏が正しく論述している通り誰でも解っていたことなのである。)五十畑氏の新版「消費税」その仕組と実際の消費税の転嫁の小題分を続ける。

「……事業者は、たとえば電力会社やガス会社のように法律で特別な事業許可を受けている企業を除き(……簡易課税はこういう業種に横領額が仕入価格が易いため巨額になっている)通常、事業を独占しているわけではない。激しい営業競争を行なっている。従って消費税を消費者に転嫁するといっても、販売価格をストレートに三%上乗せするとは限らない。このさいたとえば労賃や金利、利益などを節減し、価格は三%上げないという事業者がでてくるのは十分考えられる。それが自由経済の特徴である。……「日本経済は、自由競争を原理原則とする市場経済だということを忘れないで欲しい。そういう社会では事業者は顧客へのサービスを強めて市場を拡大することを最大の目的としている。消費税を考えた価格の設定でも、そのことを十分に考慮するのが、事業の経営者である。学者のように「頭の体操」に熱中していたのでは、競争社会から脱落することを覚悟する必要がある。」新版 消費税(その仕組と実際)大島隆夫監修(五十畑隆著)(一〇八頁--一〇九頁)

まず転嫁の問題であるが、竹下内閣が消費税法及び関連法は「本来立法府である国会が立案し提案し採否をせねばならないのに百%近いほとんどが行政府が立案し実施も又行政府が行うという立法府が立案することや提案することを放棄しているため」立案し、内閣を代表して竹下総理大臣が国会に提案しており、立案提案の責任者として竹下さんは、議院の質問に答え、上告人が裁判所に訴えている簡易課税の問題点、免税制度、限界控除制度の問題点は認めた上で、それに対し本質的な解決策は全く示さず、税革関連六法案を審議した第一一三臨時国会で八っつの懸念があるとして、それら一切の問題点を何十回もくりかえして説明しており、いわば知って知りぬいてかくなる不正をとりこむことをやっているのである。気ずかなかった、予想しなかったのにかくなる不正が起きたというのではなくて、そういう横領される巨額な財産権侵害が生れるであらうことを計算した上で故意の上に計画的な横領をさせるために消費税法及び関連法に規定してやらしている。計画犯である。竹下消費税の最大の矛盾は、アメ(金)をばらまけば何事も解決するのだという本人とは関係ない他人の財産を集めてばらまいて派閥を田中さんからのっとったと同じ手法を消費税にもちこんだことだ。このことが又、基の原点から正義や条理でない、不正義で、不正で、不公平であるため助けたはずの上告人のような零細業者を苦しめ、困らしているのである。転嫁できない零細業者がかなり多く出るであらうことは、予測できていたのは、竹下総理大臣の八っつの懸念の中で何一〇回も国会答弁で提案者自身が答え続けているのだから解っているのだから、憲法二五条及び二二条並に一五条の国民全体奉仕義務と九九条の憲法尊重擁護義務において、法定性の中で明確性をあたえて、ねこばば的集めた金を横領し合わさない別の方法で解決するべき努力をしなくてはならなかったのである。法案策定にあたって、憲法の要請している国民への保障を阻害するか否かをまず念頭において策定せねばならないのに、いかにして使う金を生む法律を作るかと、その消費者国民から集めた国民の財産を分配し、どこにどれだけくばって横領させるかに終始したために、一方によけいやれば他方にもと利益業界との談合の結果が(業界の要望をいれてと五十畑がいっているように)消費税法という黒子を生んでいるとしか思えない、あまりにもひどい横取法が作られているからである。だから憲法に答えたというようなもの、又憲法に反すか否か(かくなる不公正や不合理きわまりない不公平が)さえ、政府や税調においても討議さえも成されていないのである。いわゆる上告人は、消費税を消費者に転嫁でき得ない零細な小売業者なので零細業者と呼ばれることが適切だと思っているが、この消費税違憲訴訟で新聞等のマスコミが免税業者と書いて下さっているのであえて免税業者と自らを呼ぼう。上告人と同じ年間売上げ三千万以下の免税業者は、大蔵省が国会で公表したところによると企業数で四一五万社(人)、企業全体の六八・二%、売上高のシェアは全体の二・九%、三五兆円だという。(前述五十畑隆著 新版消費税 その仕組と実際 三七頁参照)免税業者について五十畑は次のようにいっている。……「免税業者は、仕入れに課税された消費税を顧客に転嫁できない、ということが予想される。メーカーや卸売業者から商品を購入し、一般消費者に売るわけだが、仕入品には消費税が課税されており、その分だけ仕入コストが高くなる。従って税を消費者に転嫁しないと自分がコストアップ分を負担せざるをえない」と。

即ち消費税創設にかかわった五十畑氏が予想したように、消費税を顧客に転嫁でき得ない零細業者が、小売で四割、サービスで六割でていると被告国の税務の主管大臣橋本大蔵大臣も国会その外でも何回も答弁している通りである。低めの方をとって四割としても、農家の四二八万人のうち免税業者はその九九%四二七万人とのことであるが、大蔵省の統計でだされた農家外の上告人と同じ事業者四一五万社(人)だけを対象にしても、その四割の百七〇万八千社(人)が、消費税を顧客に転嫁できず、零細業者にとっては、その収入はほとんどが生活費なので逆累進とあいまって生活権や生存権、職業選択の自由を侵害しているといっているのである。国側の四割の免税業者が消費税を消費者に転嫁できていないということは被告らがいっているのだから真実としてそうであるが、岡山県はどうか。まず私達が調べたところ郡部は消費税を津山市周辺は消費者に転嫁できていない。市街地は転嫁できているが、町をはずれた所は転嫁できていない。大型店は全部転嫁できているが、小さい店になればなる程転嫁できていない。

2 次にメーカーやその代理特約店は転嫁できているし、卸店問屋は全部、商品に上のせしているので転嫁できている。それでは転嫁できていない百七〇万八千社(人)はどういう企業なのか、どんな方達なのか。上告人は一審、二審において消費税を消費者に転嫁できず、自己負担し、生活に苦しんでいられる非転嫁小売の零細業者の証人調べを申請した。然し裁判所は非道にも一、二審とも一切認めなかった。

3 然も九州、四国、本州と日本全国からよせられた消費税を消費者に転嫁できず、生活費で自己負担して生活に困っていられる弱者、零細業者の手紙も、その一部数通を証拠としてだしている。

4 然し裁判所は、その血のにじむ怒りと苦しみの声さえも聞く耳さえもたぬと却下し、その慟哭の叫びの手紙も全く証拠として認めようともせず、請求には理由がない、転嫁困難には理由がない。周知徹底されれば解決すると原判決はいっているのである。

5 原告上告人と同じ方達について明らかにしよう。

全国的には免税業者の内小売で四割、サービスで六割消費税を顧客消費者に転嫁できていないというのが被告側機関の公表された数字であるが、甲の六〇号証の示す通り「岡山県中小企業情報センターが、岡山、倉敷の小売業者を調べたところ、四五十社にアンケート調査し、一六二社が、回答したが、そのうち四社に一社は、消費税を消費者に転嫁できていないという解答があったとのことである。私もリース業なので、マットやモップをスナックや喫茶店に配達しているが、その零細な業者達のほとんどは消費税を消費者に転嫁していないと答えている。この実態を被告らは知ってもらわねばならないし裁判所も実質審議してもらわねば困るのである。

6 岡山県中小企業情報センターのアンケート調査に答えようとしなかった、二八八社が問題なのである。

2 上告人らも会の仲間と調査に回わった。そこで解った最大のものは、解答する気力もない。やめたいというのが真実だ」これが多くの方達のいつわらざる気持であり、真実の姿であった。それこそが、回答してきなかった、回答した方達の二位に近い二八八社(人)のいつわらざる真実の姿なのである。

7 零細業者はどんな立場におかれているのか。

まず統計的にみると、岡山県は一部をのぞいて本の少こし前まで大型店の脅威をうけるような状態ではなかった。

(1)それが昭和六三年度統計によると津山市においても二二二億九千万を超える販売額を占めるようになっているのである。津山全体で食料品等の総販売額は三五四億八千五百十六万円であり、その内から米ばく類の総販売額を差引くと三三八億六千九百三三万となる。その三三八億六九三三万円が大型店スーパーを入れた津山市の食料品等の総販売額である。

2 従ってその中で大型店はもうすでに二二二億九千万以上の販売額をもち、次第にその額はまい年拡大されているのである。残りは一一五億七千九百万円である。

3 然し実際はそれより大型店のシェアはかなり大きいのである。その外に大型店直系のコンビニエンスストア同志的中スーパー及び地元中型店があり、それらがはっきり統計的には表わされていないが、残り一一五億六千万の半分近く販売しているのではないかと一店売上げの私達の調査から推計されるのである。当会が大型店に反対し、時間制限等の闘いを行った時、食料品等のタナに自販機のジュースが並べられていたことをみて、中小業者の営業と市民の生活と権利を守ることを目的としている会のリーダーとして上告人をふるいたたせたその真実こそ、正に象徴的な零細業者の姿を現わしているといわざるを得ないのである。

消費税の前の売上税の反対署名をして回った時、零細店の老夫婦のいった言葉「これだけ困っているのにその上に消費税をつけたらだあれもこんようなる。わしらもうやめにやいけん」こういった言葉を上告人は忘れることはできない。その人は消費税実施後一年程して店を閉めたのである。

4 津山振興局管内の二七〇一企業の内一人又は二人でやっているのが、千三百五三企業(人)となっており半分以上が、一人か二人で生計を細々とたてている生業者なのである。この人達には時間はない。目がさめてごはんを食べてねるまでこれが上告人と同じく仕事なのである。

5 即ち一人又は二人か三人又は四人家族ぐるみ働いている。そういう方達が八〇%以上いるのである。その人達が消費税を顧客に転嫁できず、その収入のほとんどが生活費なので単一的消費税をまともにうけて、弱者に苛酷な逆累進的消費税のしわよせをうけて死線をさまよいながら苦しめられているのである。

五十畑氏がいわれるように「日本は市場経済の社会であり、そういう社会では、顧客へのサービスを強めて、市場を拡大することが最大の目的である」というようなことは百も承知である。勿論そういうことは誰にいわれなくとも生きるために誰もやっているのである。三万社企業ができたら三万社つぶれている。これも残酷な自由競争を原則とする資本主義社会に業務を行なっているのだから、それが望む社会とはいえないが、現実認識をもたずしてやってはいけない。ちょっと、うろちょろして遊ぶと零細業者はすぐつぶれる。だから上告人もねむるのがおしいぐらい働いているし、ほとんどの人は上告人と同じく寸秒をおしんで体と頭を動かし続けている。その先がどうあらうと一生懸命やっている者のみしか何事をしても生きてゆけないからだ。

然し国が作った法律のため職業がやりにくくなったり生活権生存権が侵害されるようなことがあってはならないのだ。不景気になって倒産しようが病気になって仕事ができなくならうが、それをとやかくいう気持はひとかけらもない。要するにメーカーやその特約店は消費税を全部商品に上のせして全く運用益がでて大得をしている。卸店問屋も商品に上のせして簡易課税で大もうけしている。大型店は力でお客から消費税をとりたて運用益を得ている。とどのつまり消費税を転嫁できていないのは、お客様に直接物を売らねばならぬ、力の弱い零細な小売業者である。そのような人達が、百七十万八千社(人)いるということであり、その一人が上告人である。そしてその人達の収入はほとんど生活費であり、従って消費者に転嫁できない消費税分と生活するために買いいれた商品に付加された消費税、この二つの負担が重なって、かぶさって、生活費から自己負担せざるをえなくなって、単一的消費税の逆累進的なるがために、弱者に苛酷な消費税によって生活を苦しめられているのであり、かくなることによって、弱者、低所得者、零細業者の憲法二二条で保障されている職業選択の自由生活権と憲法二五条で保障されている生存権を侵されているのである。又消費税法は弱い小さな企業はそれだけの理由としかいえないことによって生活を苦しめられ年間何兆円の仕事をする多国籍企業には二百億円近いかねを何んの根拠もないのに横領させ、又簡易課税制度でも、大きな企業程多額の消費税を横領できるようになっており、又限界控除においても然りであり、これらはいわれもなく企業の大小に依って著しい不合理きわまりない差別と不公平を規定しているといわねばならず、かかることは憲法の容認しないものといわねばならず、憲法一四条の法の下の平等条項に違反するものといわねばならない。又そのことは法律によって著しい不合理な差別と不公平を行い、原告ら非転嫁者収入がほとんど生活費とならざるを得ない零細業者、低所得者の生存権、職業選択の自由を侵害しており、憲法二二条及び同法二五条に違反するものといわねばならない。

第一二点 消費税法は業者に恣意的な課税権、徴収権、横領権をあたえている。これは違憲違法である。

消費税付則条項業者には何億何十億何一〇〇億租税として国民のサービスをするために一円も使わない金を課税し、徴収し、国庫に形だけ入れて全額横領できる権利をあたえている。又簡易課税業者には、租税とならない自分が他人の財産を剥奪するものまで課税し、徴収し、横領する権利をあたえている。又免税業者には、税とならないものを税金として課税し徴収し横領する権利をあたえている。

これは恣意的な課税徴収を禁じている憲法八四条及び義務のないものをとりたてさせる権利をあたえているのだから納税義務を定める憲法三〇条に違反するといわざるをえないものである。当然私的財産及び国の財産を横領させるものであるから刑法二五二条同法二五三条にも違反する違法である。従ってそれら違反によって財産権を侵害するものであるので憲法二九条に違反するといわねばならず、それらの国民の財産(原告の)はかえすのが当然であり、民法七〇九条のいう不法行為にあたり損害をつぐなわねばならない事は当然だといわねばならない。国賠法においても然りである。第一三点 国民の九十%以上が反対しているのに大型間接税をやらないという選挙公約もふみにじって消費税を策定し提案し可決し実施していることは公務員の国民全体奉仕義務、憲法尊重擁護義務に違反し無効だ。憲法違反が山とあることもこの二つの条項に違反し無効だ。

1 まず「憲法九九条は次の様に明確に規定している。」

「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と。然るに上告人が被告としている内閣総理大臣も、国(国会及び国会議員並びに消費税を策定した関係公務員及び税調も)も名ざして憲法尊重擁護義務を課されているのである。次に憲法一五条はその二項で、「すべての公務員は、全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない」と規定し、最重要なものとして国民全体奉仕義務を義務づけている。

2 日本国憲法には三っつの原理原則があり、その一つは平和主義(戦争放棄による)であり、次の一つは、人間の尊厳と個人の尊重を基礎におく、基本的人権尊重主義であり、後の一つは主権在民主義である。まず上告人は前項において、法人格の企業は大きからうと消費者人間と同れつに扱うことさえも権利として許されないし、ましてや、企業に特権をあたえ、人間をないがしろにして差別的に扱っている消費税法の違憲性を明らかにしたが、人間の尊厳と人を一人一人を個人として尊重することが憲法の基本理念であり、企業に人間を差別的に扱わすことも、人間を企業より差別的に扱う社会的政治的経済的関係である法律による差別は憲法が例をあげて禁止しているものであり、違憲以外の何ものでもないといわなければならないものである。

2 まず憲法一条で主権民主義を規定しそのもとに司法立法行政のよってたつべきことを条文化しているが「この国民主権の原理はアメリカ及びフランスで宣言され、憲法に明記された。アメリカの一七七六年の独立宣言は国民主権に基ずくものであった。

同年のヴァージニア憲法は、「すべての権力は、国民に存し、従って国民に由来するものである」と規定している。そして合衆国憲法にも条文化された。

フランスでは人権宣言で「あらゆる主権の原理は、本質的に国民に存する。いずれの団体いずれの個人も、国民から明示的に発するものでない権威を行いえないと(第三条で)一七八九年に明記された。」(憲法読本上岩波新書 憲法問題研究会編八二頁)

二 「次にベルギー憲法でもその第二五条で「すべての権力は国民に由来する」と定められ、イタリア共和国憲法でも、その基本原理条項第一条で「イタリアは労働に基礎をおく民主共和国である。主権は人民に属する。人民はこの憲法の定める形式及び制限において行使する」とある。又中国の憲法でも、その第二条で(中華人民共和国憲法)「中華人民共和国のすべての権力は人民に属する」となっている。(宮沢俊義 世界憲法集第四版 岩波文庫より参照)即ち今日の日本国憲法が占領時できたとの論理もあるが、人民主権は、アメリカ、フランス、ヨーロッパ等で二百年以上も前から憲法に規定されている憲法の言葉を借りれば、人類不遍の原理であり長い間の先人の努力と人類の歴史の発展の中で勝取られた人類の貴い財産としての宝物真理なのである。いわば憲法を超えて世界史の重味の中で存在し、吾が国の憲法と世界各国の憲法に規定されているものに外ならないものである。それには三つの国民主権が存在している。その一つは国民の代表に依って間接的に主権在民を行う、国会と行政府、裁判所という機関である。そしてもう一つは直接的なものである。それが憲法一五条の国民全体奉仕義務と同法九九条の憲法尊重擁護義務である。

今一つは国民の抵抗権である。ここで上告人が真に憲法で保証された国民の生活と権利を守るのは、やはり、権利を国民から預かってそのうまみを知り、権力は大きな利益をあたえるものである事実を知ったものではなくて、憲法によって全体として保証されたものを阻害されないための存在としての国民、最終的には、権力の不正や横暴を是正する国民の直接かかわるものとしての後の二つ何よりも重要なそのことについてである。その直接主権こそ、憲法十五条であり、憲法九九条であり、抵抗権そのものなのである。これに対し、高裁判決は「憲法四一条は、国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。」と規定し、同法四三条一項は「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。」と規定して、いわゆる間接民主制を採用しているから、本件消費税法が、国民の意志に反する旨の政治的批判をすることはともかくとして、法律的には、本件、消費税法が国会で可決された以上(ここにこそ違憲立法審査権を放棄したとしかいえない問題がある)それは国民の意思に基づくものと看倣されるべきである。仮に、裁判所において、本件消費税法が国民の意思に反するや否やにつき、証拠調べができるとする考え方があるとすれば、それは間接的民主制を定めた憲法の前記規定を無視するものといわざるを得ない。」と。

1 勿論上告人は憲法四一条はその存在を明記した上で消費税法の違憲性を明らかにしているものである。上告人原告はその上で、国会も、内閣も、憲法の下でのみ存在しているのであり、それに反するような立案も、立法も禁じられているといっているのである。

2 その前に今一つ申し上げれば、原告は決して国会を軽視したり、無視しようするはずもなく、その存在は、民主政治の根幹をなすものとしてうけとめているものである。そしてもし本当に裁判官が間接民主々義のために証拠を調べなかったというのならば、その調べようとしなかった上告人が提出している証拠の中に、国会に関する証拠があったことを、裁判所はどう説明できるのであらうか。「これこそ、理解することのできない。真実に反する証拠といわざるをえないものが含んでいる」のである。即ち上告人が証拠として書証でだしている物の中に、参議選の「消費税」を問うた結果と「消費税廃止法案」が参議本会議で可決されたことを示す新聞のコピーを証拠としてだしているのである。

2 まず参議院の平成元年七月選挙は、消費税一本で戦われ、結果は、消費税を導入した自民党が惨敗した。議席数でみると自民党はわずか一五議席、野党全体では話しにもならない数で、社会党は二〇議席、政権党であり、利権を動かし、権利と利益団体を総動員したにも拘らず社会党一党にさえ五議席も少ない完敗となったのである。

3 得票率でも自民党は、うま味をもつ政権党として金をばらまいてきて、政府関係利益集団を選挙闘争の手段として今回も使ったのに大滅少したのである。即ち得票率は、自民党は二七・三二%その他の政党の消費税反対の党派に七七・七%国民消費税反対の気持をこめて投票し、消費税ノーという答えをだしたのである。これが国民の声であり、主権在民主義の一つの形態としての選挙でその権利を行使したのである。勿論一回で参議院議員が決まる制度であったら、もう自民党は弱小政党になっていたのであるが半数改選が幸いしていて体は何んとかできたけれども、これが神聖な国民の意思であった。なのに現判決は、公約違反の中での可決されたことをもって国民の意思と看倣すべきだといっているのである。4 次には、裁判所において消費税法が、国民の意志に反するや否やにつき証拠調べができるとする考えがあるとすれば、それは間接的民主制を定めた憲法の前記規定を無視するものといわざるを得ないと原判決はいっているのであるが、憲法は、一院制ではなく、二院制を立法府にひいているのである。それでは、参議院の「消費税廃止法案の可決」という重い立法府の決議を全く問題にもしないということになるではないか。その消費税廃止決議という両院の一翼をになう立法府を無視し、問題にもせぬぐらいに軽んじ、じゆうりんした上の判決としかいえないではないか。

3 勿論消費税法案が国会において可決され、実施されているという事実は原判決の通りであり、否定しようもない事実である。然し国会にはもう一つの消費税に関する重い決議が存在しているのである。

4 それがその消費税廃止法案の二院のうちの一院の可決というどうすることもできない神聖な決議なのである。それには消費税ノーという八〇%に近い国民の絶対多数の意思が反映されているのである。とすると原判決は、国民の八〇%の意思と国会を行政する二院の内、一院の可決決議をとるにたりぬものとして証拠にする価値もないとしたことになるといわざるをえない。参議院の消費税廃止の決議を証拠として調べることが、参議院と合せて国会の権威を高めこそすれ、間接制民主制を定めた憲法の規定を無視することになるとは、この消費税についてとうてえ、いえるべき根拠はみあたらず、それは違憲立法審査をしないこと前提としているために、こじつけて作られた言葉としか、理由はないといわねばならない。むしろ重大なのは参議院を軽視しているといわざるを得ないことの方が問題である。

5 前述の通り最高裁大法廷の判例が(最大判昭二五・二・一)「裁判官が……その法令が憲法に適合するか否かを判断することは憲法によって裁判官に課せられた職務と職権であって、このことは最高裁判所の裁判官であると下級裁判所の裁判官であるとを問わない」ないのであり、原告が証拠としてだし違憲審査を求めている以上、審査するのが当然であり且つ裁判官の職務と職権なのである。参議院の決議を審査の上からどう位置づけるかという問題であって、全く証拠たる意義がないというのでは国会軽視も甚だしいといわねばならない。参議院の決議をないがしろにしほうぐにすることは許されないことである。

二 憲法一五条に関する違憲審査は求めて当然であり、それができないということこそ憲法無視というべきである。

「憲法八一条は、次のように規定している。即ち「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に、適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」と。即ち一切のという意をすべてと意味の通りにすれば、法令、命令規則又は処分日本の社会に審査できないものは、条文通りうけとめるとないといわねばならない。勿論憲法の何条に関してとか、その他何々については審査できないという憲法の条文がない以上、国内のあらゆる憲法が明示している法律も、命令も、規則も、処分もすべて憲法に適合できるかどうか審査できると解釈する以外ないというのが、たった一つの解釈であらう。だから全部審査してもらわなくてはならないのである。従って国民全体奉仕義務を定めた条項についても、裁判所は審査せねばならぬ義務があり、国民には審査をうける権利が、この憲法八一条においてあるといわねばならない。どこにも憲法十五条については、違憲審査はやられないとか、いう規定はないのであり、この条項は国民が権力を預けている公務員、司法、立法行政に対し、それをチェックする国民主権の根幹を成す条項であり、国民主権の一つの行使の基となるものである。従って憲法一五条についても、違憲審査を求めているわけである。

第十四点 この憲法一五条国民全体奉仕義務違反国家公務員法六九条に違反する消費税法

まず前述の通りであるが、上告人は憲法一五条二項の公務員の国民全体奉仕義務及び国家公務員法に違反する違法を明らかにしようとするものであるが、国家公務員法第六九条にも、次のように規定している。「すべての職員は、国民全体の奉仕者として、公共の利益のために、勤務し且つ職務の遂行にあたっては、全力を挙げてこれに専念しなければならないと規定し、憲法一五条の上に二重に国民全体奉仕義務を義務づけている。さらに同法九七条に依って、このことについて宜誓するようにまで徹底して義務づけているのである。かくもこのことを三重にまで規定し義務づけているということは、これこそが公務員の仕事をする上の存在理由であり、これを踏みはずすことは公務員としての資格を問うものとし位置づけられているといわねばならない。だからこそこれに反することは公務員としての資格を失う責任あるものであるが故に、続けて憲法一五条は、公務員を選定し罷免することは、国民固有の権利であるとして国民の抵当権を認めているのである。

従って憲法一五条は、まず国民全体奉仕義務を公務員に絶対の条件として義務づけ、それに反する公務員の国民の抵抗権としての罷免さえも定めているのである。それだけこの条項は重くて大きくて国民主権主義の憲法の三大原則を守るものとして規定されているといわねばならない。然しこの条項にあてはまるようなことはほとんど起きないのが普通であった。然し、日本の憲政史始まって以来始めてのこの条項に反することが起きたのである。本来は民主政治である。国民の反対することはしない。これが民主政治の根幹であるはずである。にも拘らず国民のほとんどが反対しても、それを無視して、政治家が恣意的(自分勝手に)国民の反対することを導入する法律を官僚公務員とともに作って国会で可決させ施行するという反民主的、反主権者的、反国民的、反憲法的行為がこの近代社会の中で行われたのである。これが憲法十五条違反の生れた原因である。それこそが消費税問題のこの本質である。

一 まず上告人は、憲法一五条違反の証拠として、国民の九〇%以上が、消費税に反対していることを示す、通信社の世論調査の結果を報道した新聞のコピーを証拠として裁判所に提出している。又その他の世論調査の結果もだしている。二 次には前述の通り平成元年、消費税一色、一本で闘われた参議院選の結果を報道した消費税を導入した自民党が惨敗し、国民の八〇%が消費税ノーといって投票したことを報道した新聞のコピーを証拠としてだしている。

三 参議院で消費税廃止法案が可決したことを示す証拠もだしている。

四 日本全国からの消費税に苦しんでいる人達の手紙も証拠として一部だしている。

この証拠は軽いものではない。主権者たる国民が消費税をやるなといっている証拠であり、二院制の一方の国会が消費税廃止を可決した証拠であり、さらに、八〇%の国民が消費税ノーといって投票した証拠であり、これ程民主政治の中で重い証拠はないといわねばならない。これを裁判所であれ、行政府であれ、主権在民主義の憲法史も軽んずることは憲法の原則からいっても許されない。この事実を正しくうけとめ審査することは、裁判所の義務であり、仕事としての責任であり使命である。この証拠に現われた事実こそ、憲法一五条に消費税を策定したことも内閣で消費税法案を作り、被告総理大臣が国会に提出したことも、違反するという証拠である。

第一五 消費税法の策定提案、可決の故意と計画的な憲法一五条違反の事実について

一 まず総選挙において多数党の党首であり、内閣総理大臣であった中曽根さんが大型間接税はやらないと国民に公約しつつ九〇%以上の国民が反対しているのに大型間接税である消費税を強行採決によって可決導入実施していることは、憲法一五条の国民全体奉仕義務に違反するものである。

二 法案の中身も国民主権に反するものである。

即ち消費税法付則三条消費税法四〇条同法三七条等の条項は、国民全体奉仕義務に反するものである。日本国憲法はその一四条で法の下の平等を定め、さらに一項で禁止事項を明示し、政治的、経済的又は社会的関係である国民一人一人ではどうすることもできない法律によって差別されないと差別を禁じているにも拘らず一億一千万消費者(上告人原告)を差別し、六百七万三千社の企業が、租税とならず、国庫に入らぬ金消費者の憲法二九条で犯してはならないとして保障されている財産権を侵害して消費税という名で徴収し、自己のものとして横領することを認めている消費税法三七条一項、同法四〇条、同法九条付則三条は、営利を目的とする企業に奉仕するために設けられた条項であり、憲法十五条の国民全体奉仕義務に違背し且つ一部の者の利益のために法を制定したものであり、その内閣の策定も、それを国会に提案したことも、可決した国会議員の行為も憲法一四条に違背したものといわねばならないと同時に、国民全体に奉仕すべき義務が憲法上あり、憲法一五条及び国家公務員法六九条に違反する違法があるといわねばならず、無効とされねばならないものである。

三 国民全体に奉仕しない仕事をやることは憲法の要請に反する。

まず国会は国民全体に奉仕すべき法律を作る義務があり、内閣も国民の意思に奉仕しない仕事をしてはならいという原則の基に仕事をやらねばならず、両者とも国民全体に奉仕するという義務から公務員である限り踏みはずすことはできないものであるといわねばならない。内閣は特に立法府にかわって法律を策定するにおいて憲法に適合するものかしないかを精査し、違反しないものであるという結論のもと策定し、総理大臣はそれらを確認した上で内閣を代表して法律案を国会に提案すべき義務があり、特に憲法一五条についてはなおさらそれに反するか否かをみきわめるべき高度の義務をもつものである。そして国会は少なく共国民の意思に反すか否かを公務員としてチェックする義務があるそれを消費税法に関してはまったくやっていない。上告人がだしている証拠にあるように歴史上かつてない程消費税の導入を国民の大多数が反対し、怒っているのに、国家大蔵官僚と政府与党の国会議員はそれをじゆうりんし憲法一五条の主権者国民全体の奉仕義務に違背し、主権者の意思に背き恣意的に法律を策定し提案し可決導入した。このことは憲法一五条の禁づるところである。違憲無効といわざるを得ない。

第一六点 消費税及び消費税法は憲法九九条に違反し、違憲無効

一 憲法九九条は、次のように規定している。即ち「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し、擁護する義務を負う」と。この九九条について学説は「憲法尊重擁護義務とは、憲法を遵守し、その破壊に抵抗し、その実施を確保する義務を意味する」……宮沢俊義東大教授 日本国憲法八二〇頁(ジュリスト憲法の争点……小島和司編二七ページ 西浦公担当論文……憲法尊重擁護義務参照)消費税は国民の九十%以上が反対している。それをやることは国民全体奉仕義務を定める憲法十五条に違反する。消費税法は一億一千万消費者国民を差別し、一部企業には消費者から集めた消費税という名の国民の財産を三%集めて三%全部横取りさせる付則三条がある。簡易課税では国庫に入らぬ租税とならない金を消費者から集めて企業横領させる(三七条)条項がある。そして大きい企業は巨額な横領ができ、小さいものは負担がかぶさる。大きいものは大きい程もうかり、小さいものは小さいだけもうけが少なくなり、次第に生活費から負担せぬばならなくなる。その上その制度は企業の大小業種、地いくによる差別的あつかいを法律で定めたものである上に、消費者からは、国庫に入らぬ租税にならない消費者の財産も集めさすことを定めて消費者を差別的に扱った上に、その金を自己の物として横領することを定めている。これは憲法が例示的禁止している経済的政治的社会的関係の差別である法による差別であり、憲法一四条に違反する。次には限界控除も消費者を差別し、消費者から税として集めつつ他人から集めた消費税という財産を横領することを定めている。さらに免税条項も、消費者から税とならない者を消費者から集め自分のものとする横領を定めている。

さらにそういう不合理ないやこれ以上にない不合理な差別や不公平と刑法で処罰さるべき不正を合法化した上に収入の少ない人程負担率が多くなっている弱者に苛酷な消費税と、かくなる不条理不公正さまざまな不合理のかさなりあった消費税法、かくなる違憲性の不合理や不正があることを知りつつ、かくなる不合理な差別や不公平、不正の規定した消費税法を内閣総理大臣は策定し、国会に提案を行った。これは故意且つ計画的な憲法一五条に違反するものである。とと同時に被告の内閣総理大臣及び国会議員は、憲法の三大原則である国民主権や基本的人権を侵害するような立法がなされないようにすべき義務があるのに、これを怠ったのみなら提案し実施していることは憲法九九条の規定する憲法尊重擁護義務に違反するものである。

第一七点 被告らは二重に違憲

上告人は個別的に理由をのべたが、総じて憲法一五条及び九九に消費税法が違反していることを明確にする。

まず第一に自由民主党は国民の大多数が反対する大型間接税は導入しないと選挙において、主権者である国民に公約し、書証でだしているように国民の九〇%が反対していたことが明確であったにも拘らず、(又自民党の総裁であるとともに総理大臣である中曽根総理大臣が、総理大臣として国民に公約しているのにも拘らず)内閣総理大臣は、それを踏みにじって消費税法を内閣として策定し内閣総理大臣が国会に提出したことは、故意且つ計画的な反主権行為であり、かくなることは、主権者である国民全体の意思に背くものであり、「すべての公務員は全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない」と規定した憲法一五条二項に違反する計画的故意の違法がある。次に自由民主党の国会議員及び内閣総理大臣は、国民に対し、国民の大多数が反対する大型間接税は導入しないと選挙で主権者国民公約し、国民の九十%が消費税の導入に反対していたにも拘らず、国会議員及び被告内閣総理大臣は、消費税を成立させ実施した。消費税法は、主権者である国民全体の意思に背くものであり、被告内閣総理大臣及び国会議員がこれを提案し、可決したことは「すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と規定した憲法の根幹を成す三大原則の主権在民条項、憲法一五条二項に違反するものである。又同時に、被告内閣総理大臣及び国会議員は、かくなる国民主権に反するような立法がなされないようにすべき義務があるのに、そして又事実に現われるような不公平や著しい不合理な差別、あるひは横領となるような不正を内容とするような立法を行わないようにし且ついやしくも国民の基本的人権を侵害するような内容の法律の立法を成されないようにすべき、何よりも重要な最大の義務があるのに、それを怠り、むしろ不合理な差別や不正をとりこんだ法律を提案し可決し実施していることは憲法九九条が、大臣国会議員と名ざして規定する憲法尊重擁護義務に違反しているといわざるをえない。

宮沢俊義教授の学説の通り、「憲法尊重擁護義務とは、憲法を遵守し、その破壊に抵抗し、実施を確保する義務を意味する」(前述参照)少々基本的人権を法律で侵害したぐらいよいだらうというようななまはんじやくでは義務は果たせないのである。だからこそナチによって国民を不幸におとしこんだドイツ人は……近代憲法の原点となったワイマール憲法をファシズム政府にじゆうりんされたことに学び「ドイツ連邦共和国憲法二〇条四項で「この秩序を排除しようと企てるすべての者に対し、他の防衛手段のない場合にはすべてのドイツ人は抵抗権を有する」(本項は一九六六年六月二四日の法律で追加(宮沢俊義編 世界憲法集一六八頁参照)。世界史の輝きの中にある崇高な人類普遍の原理としての日本憲法はその平和条項の死文化された上に、戦争権まで他国民に大きなめいわくを及ぼした過去の戦争を忘れて拡大しようとする小沢調査会の如き、違憲違法の解釈が、国会議員において成されている今日、公務員の国民全体奉仕義務及び憲法尊重擁護義務条項は守られねば、日本の悲劇はくり返されるといわねばならないのである。

第十八点 消費税法の納税義務者不明確は違憲

消費税法は五条一項において事業者を納税義務者とし、他方、税制改革法二条一項は、あくまで事業者が納税義務者であることを前提として、事業者に消費税の転嫁義務を課したものであるが、他の税法をみても、実質的な租税負担者と納税義務者が相違する場合に納税義務者に実質的な租税負担者への転嫁を義務づけたものはない。そうだとすれば、消費税法及び税制改革法は、消費者が納税義務者であり、事業者は単なる徴収義務者であるものと考えられる。消費税法においては納税義務者徴収義務者及びそれぞれの権利義務関係が不明確であり、法定性と明確性が欠けているものといわねばならない。

二 消費税法においては、事業者が、税負担者であり納税義務者である消費者から実際にどれだけ消費税を徴収しているかわらず、消費者に消費税を過剰に転嫁している事実もあり、又その危険性も常にあり、さらに事業者が、消費者から徴収した消費税分をどのように処理するか不明確であり、その一部を国庫に納めず、事業者が、横取できるようになっている。

次に消費税法付則三条では消費者から集めた消費税分三%全国横取りできるようになっており、さらに消費税法九条の免税点制度及び三七条の簡易課税制度は、事業者が消費税分を徴収しながら、これを国に納めず、事業者が、その全部及び一部を自己のものとして取得横領することを認めたもので違法である。

三 これらは納税義務者が不明確である消費者であるためであり、本来納税義務者が納税負担者である消費者であったならば、国税を一円たりとも誰も横領することはできない。この不明確性のために消費税の横領を定めることができているのであり、それらは被告らの意図的計画的な営利を目的とする企業団体との不明ろうな談合によって、消費税を横領し合わすようにしているからである。ために二つの恣意的な課税を行わしめるにおいて結果している。その一つは国によって業者に横領横取りさせるために集める恣意的な課税のみならず業者による恣意的な租税の賦課及び国による業者などのもうけになる金を集めるための自分勝手な恣意的な課税を定めたものであり、課税要件課税実態課税根拠が不明確であり、恣意的な課税を禁止している憲法三〇条八四条に違反し無効であり、然もそれに依って国民の(上告人)財産権権を侵害しているにおいて、憲法二九条に違反するものである。第一九点 国らには消費税を廃止する義務がある。

前述の通り、被告らには憲法一五条において「すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。」と規定され、国民全体に公務員として奉仕する義務が課せられている。然るに国民の九〇%が反対している消費税を策定し、提案し、可決し実施していることは、この憲法一五条に違反するものである。リンカーンの言葉をかりれば「人民による人民のための人民の政治」正しく国民の大多数が反対するものをしないのが主権在民主義の憲法の求めているところであり、国民の反対している消費税をやめる「廃止する」義務がある、といわねばならない。

2 さらに日本国憲法は、基本的人権の尊重主義をその三大原則の一つとしている。その尊ぶべき人としての憲法で保障された基本的人権を侵害する規定が消費税法においてなされている。消費として消費者国民から集めた三%の国民消費者(上告人)の貴重な財産を全額一部企業に横取りさせる消費税法付則三条それに依って平成元年一部企業に横取りされた額は五〇八五億円さらに簡易課税によって国庫に入らぬ横領される巨額な国民の財産を集めることを定め免税点条項ではちょっぴり得をするものと転嫁できないでかぶさるもの等々企業の大きいか小さいかによって差別し、業種によって差別し、企業に特権をあたえて消費者を差別し、そして国庫に入らぬ額は予算面で解っただけで二兆七千六百億円、国庫に入るに近い巨額な横領金を集めることを定める、消費税法、刑法二五二条の横領罪にあたることをさせる消費税法、これ程著しい不公平と差別する不合理な内容を定めている憲法一四条三〇条二九条八四条一五条二五条二二条一項に違反する違憲無効な消費税を、憲法一五条の国民全体奉仕義務及び憲法尊重擁護を課せられているにおいて廃止する義務があるといわねばならない。

第二〇点 どうにもならぬ消費税法の不公平と違法

前述の通りこれだけ不合理で不公平で不正をさせることを定める消費税法は、誰がその案を作ったのか。それは竹下内閣である。勿論政府税制調査会にその作くる内容を示して本のわずかな期間に審議してもらって承認をえ、そして業界と談合して消費税の分配の条件を決定し、それを消費税法の中に規定した。「そして六三年暮「政府自民党は……あらゆる政略と術策をろうし、殆ど審議もしないで単独強行採決を重ねながら力づくで「消費税導入を柱とする竹下税制改革の法案を法律としたのである。まさに国民から遊離した政治の舞台だけでの狂奏曲であった」富岡幸雄中央大学教授「消費税見直論の虚構性--竹下消費税の矛盾の露呈 中央大学商学研究会 商学論纂第31巻三四号抜刷一九九〇年一月三〇日発行二六)なぜそんな案が作られるのか、富岡教授はいう「税制改革でまずもってなされるべきは、基幹税、メインタックスである所得課税の所得税と法人税に存在するきわめて多くの不公平税制の是正である。税制は政治の顔であるその顔は、いま醜く否んでいる。政治家が税制改革を利権化したからだ。個別利益誘導政治の腐敗がとめどなく進行している。税制を政治献金調達と票を集める手段として、最大限利用しているのが、現政権政党なのだ。これは長い間一党独裁支配がもたらした政財官界ゆ着の構造だ。消費税は、そういう病理体質の権化なのだと」……「すでに各所で報道されたことだが、物品税の廃止によって、自動車業界や電機業界は何千億円という税金を節約できた。自民党はこの見返りとして自動車業界や電機業界に、特別政治献金(上告人注何十億円の)を要求した現幹事長は自動車業界に対し、二三%の物品税が六%に下がったのだから、もし献金をしぶるなら、自動車の税だけは特別に九%に引き上げようかと威嚇ともとれる発言をしたという」(サンサーラ月刊七月号一八一頁 政治の取引きに堕した国民不在の消費税 富岡幸雄 一八三頁参照)要するに建設業界を中心に付則三条で年間五千五八億円他人から集めた消費税を横取りさせ、電機や自動車業界には物品税の廃止によってこれ又何千億円もばらまき、とどのつまり、政治献金をこれら業界から上納させる。個別的には国会議員に上の方五億円に近い簡易課税業者からも献金させる。そのことは政治献金公表の中でも一部ではあっても明らかにされている通りである。五十畑税調委員は、前述の著書において「学者のように頭の体操に熱中していたのでは、競争社会では脱落することを覚悟する必要がある」と書かれていたが、少なくとも租税は無償で強制というたった一つの財産権侵害なので、税制だけは、営利や金もうけを持ちこんではならず、純すいで国家百年を見通した真理追求の学哲の研明こそ求められねばならないのである。勿論消費税法については、それに規定されているものの主なものは、あらゆる流通と消費に対し、一〇〇分の三を消費税として徴収する。これだけでよいにも拘らず、その集めた金を、各業界に分配横領させることを規定したために、どこをつついてもそれを全部取りはずさぬ限りどうにもならなくなってしまっている。これこそが消費税の不合理性、巨額な事実に現われた不公平性であり、恣意的な課税とともに、アバウト課税を生みだしている消費税の本質で根幹を成す矛盾と不正違法の根源なのである。それが又憲法一四条始め諸条項に違反している現象であり、廃止以外ないのである。

2 手直しをしようとしても、元々業界の分配横領要求に対する妥協で消費税は生れているものであり、選挙資金取得と集票のためになされた政官財ゆ着の腐敗構造がその根源である以上、又々業界との談合をえねばならぬのでどうにもならないのである。これこそが日本をむしばみ続けている金権腐敗の政治悪社会悪の実態であり、無償で強制的に徴収する租税においては絶対許されてはならないのである。

第二〇点 内閣総理大臣こそ権利義務の主体的役割をはたしている

原判決は、内閣総理大臣は、国の行政機関であって法律上独立した権利義務の帰属主体ではないから却下するとのことであるが、今や日本の総理大臣は主体的な権利義務をもった存在そのものとなっている。即ちその第一は、日本の最高権力者は内閣総理大臣である。まず憲法六五条は、行政権は内閣に属すると規定している。さらに憲法六六条は一項で内閣は法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。そして三項では内閣は、行政権の行使について国会に対し、連帯して責任を負う」と規定している。

1 然るに憲法六五条は行政権は内閣に属するとしているのであるから、行政は内閣が主体となって司さどるものといわねばならない。さらに憲法六六条一項は内閣は、その首長である内閣総理大臣とその他の国務大臣で組織すると規定されているということは、一個の独立主体を持った組織であることは明かである。そして同条三項は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負うとなっているということは、責任主体を持っているということになる。そして憲法七三条は内閣の職務として、1法律を誠実に執行し、国務を総理する 2外交関係を処理する 3条約を締結すること 4官吏に関する事務を掌理する 5予算を作成して国会に提出すること 6政令を制定すること 7大赦、特赦、滅刑、刑の執行の免除及び復権を決定する。これを全部内閣がやるのであるから、ゆりかごからはかばまで内閣の責任範囲は、国民の生活一般にまで及ぶものである。その首長が内閣総理大臣なのである。内閣の及ばない権力のとどかない所は、外交を含めて日本にはないのである。そして憲法七三条は、内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督すると規定している。

〈1〉 即ち各行政部は、内閣総理大臣の手中にあるといっても過言ではない。とすると法律上独立した権利義務の帰属主体でないどころか、国の予算からあらゆる行政機関を動かすことのできる権力と一切を指揮監督できる怖るべき権力者であることは明かであり、総理大臣と各国務大臣の組織体である内閣は、自分の意志にもとずいてできないものはないぐらいできる。主体性のある権利を持っており、その首長である総理大臣の意思は日本のすみずみまで及ぶ主体性のあるものという外はない。とともに国会に対して連帯責任という大大条の責任主体が規定されているが、それとともに今一つ国の行政を部分的に総理する部分的権力をもつ国務大臣の任命及び罷免ができる責任も憲法六八条によって規定され、ここでも権利主体であることが明らかになっているといわねばならない。主体とは自分の意思に基づいて相手に働きかけることができることをいうのであり、内閣総理大臣は、自分の意志にもとづいて国務大臣を任命し罷免できる国政上重大な責任主体をもっているのである。さらに政治が国民に奉仕する機能そのものである予算を作成し、国会に提出する内閣の職務を指揮監督できる主体的権利ももっているのである。さらに総理大臣は、刑罰の滅刑免除も指揮監督の中でできるのであり、これらは、すべて自分の意志にもとずいて相手に働きかけるという主体的権利なくしてできないものであり、日本の総理大臣権限は、天皇が元首でなくなった新憲法下においては、一部元首的役割さえもはたす、世界にも例のない程先進国では強大なのである。イギリスには女王、フランスでは大統領、等々一部で総理大臣の権限を弱める元首的なものがあるが、日本にはそれとも違う大統領をかねた一つの独立組織ともいうべき強大な権利主体をもっているのである。とすれば権利主体のないから被告にはなれないというのは、根拠がないといわねばならない。

2 然もその強大な権力(権利主体となる)を持っている内閣が、三権分立の近代憲法の原理をとりいれた日本の憲法下、独立して存在しているのである。そして行政権はバラバラに存在しているのではなくて、憲法六五条で行政権は内閣に属すると規定され、その行政権力を一手に握っているのである。司法、立法とは違って日本におけるあらゆることのできるたった一つの権利主体をもっている強大組織それが内閣だといわねばならない。一例をあげるとこれ程国民が反対していた消費税を導入させた竹下消費税の張本人竹下総理は、市町村の大きい小さい、必要不必要とも関係なく一億円をふるさと資金という名でばらまいた。そんなことまでできるのである。これは竹下さんの個人的な考えを国民の財産である税金をばらまいてムダづかいをしたものであるが、と同時に内閣総理大臣であるからできたことなのであり、そのことは総理大臣自身がその意思にもとづいて相手に(市町村に)働きかけるという総理大臣権限という権利を行使しているのであり、法律上は憲法六五条の行政権は内閣に属するという規定に基づいているといえるのである。これこそ内閣総理大臣の権利主体のあることの一例であり、まさに総理大臣は、この憲法六五条をもって各大臣に影響をあたえ、国民の生活と権利に自己の意志又は意思にもとづいて影響を(己から働きかけて)あたえているのである。その主体的権利をもって働きかけ国民にとってはそれによって日常生活さえも左右されているのであるそれが消費税のあたえている諸問題なのである。

3 次に議員内閣性についても、憲法六七条で内閣総理大臣は、国会議員の中から、国会でこれを指名すると規定されており、内閣総理大臣は、国民に選挙で公約したことを実現するという目的をもった国民の代表として内閣を総理するのであるから、ここにも権利主体がなくては存在できなくなる。明治憲法の考え方としては主権は国民にないのだから、天皇とそのささえている力があって機関で形だけは成立ち得ても、現憲法においては原判決の考えでは成り立ち得ないのである。国民のために何々をする。そのためにその権利権限を一手に持っている内閣のドン総理大臣になるのであり、権利主体が一部ではなく、全部であり、やはりそれ程強大な権利権限を主体的に持って内閣総理大臣は被告としてその責任を問われねばならないのは当然である。

4 次には立法との関係である。原判決は立法は国会の裁量などといって被告の主張を正当化しているが、その立法府の立法権が消費税法においても犯されているのである。即ちこの消費税法においても、国会は立法をしていないのである。竹下内閣によって作成された消費税法関連六法案を、ほとんどリクルートに国会はその論議を費やし、富岡教授のいっていられるように「ろくに論議もせず野党の反対をおしきって強行採決をくり返し」最後には「誰かが何かいった」というぐらいの形で大騒動の中で採決したといっているそういう形での可決した。それは全国民がテレビでみている通りであり、あれで可決されたのかといえるような疑問は、ほとんどの人は消えうせない。そういう可決をしたに過ぎないのである。

国民への大型間接税をやらないという選挙公約をじゆうりんして自民党内閣である竹下内閣が消費税関連六法案は法案を作成し、国会に竹下内閣として竹下総理大臣が内閣を代表して提出しているのである。これはそもそも憲法四一条の求めている立法権は唯一国会にしかないとする条項に違反するものである。そもそも立法というのは、法律を可決することではないからである。辞典によれば、立法とは法律を制定することとある。制定とは、作って定めることとある。とすると立法とは、法律を作って定めることのすべてをいうといわねばならない。だとすると消費税法を作ったのは竹下内閣であり、それを国会に提案したのも竹下内閣であり、それを可決したというのは承認しただけなのである。実際に法律案を作ったのは竹下内閣であり、国会ではないのであって、それを支持した政党が可決したやら何やら解らぬ状態の混乱の中で委員会採決をしたとなって導入されているのである。勿論前述の通り、憲法七三条に内閣総理大臣は内閣を代表して議案を国会に提出できるという規定があるが、法案をとはなっていないのである。議案とは予算を作成して国会に提出することのできることを定めた憲法七三条の職務条項の五項及び同法七二条にいうことしかないはずである。そこにも法案を作成できるという条項は憲法に規定されていないのである。ために法に順ずるものとして法に従って政令を制定できるとなっているが、これも「この憲法の規定及び法律の規定を実施するためという条件がついており、政令は法律の委任があることを除いては、罰則を設けることはできないとして立法権をここでもこえることを許していないのである。これをみても、法の制定行為を禁じられていることは明確であるといわねばならない。

もし国会が政令を作ったとしたらどうなるか。内閣の反撃にあっておそらく作らせないだらう。それは専門プロの集団で行政機構を検察警察から地方公共団体に至るまで手中にしている内閣の力は、自らの権益を犯すようなことを認容することはありえない。にも拘らず、国会が立法責任をはたし得ていないために行政を完全に内閣は手中におさめつつ、国会の立法権を侵害し続けているのである。主権は国民人民になく天皇にありとした明治憲法「さっちょう連合」で作られて、何んでもかんでもできた官僚機構は、今日の日本に生きているのである。然し日本は憲政立憲国家である国民の代表で行成する国会の立法権の内閣による侵害を許してはならないのである。消費税法という税金として集めた半分に近い巨額な金を横取り横領させる様な法律を、立法府である国会の立法権を侵害して作成し国会に提出した竹下内閣はそのこと自体が違法であり、国会は国権の最高機関であって国の唯一の立法機関であるという条項に違反し無効であるといわなければならず、行政の中で一手に内閣総理大臣は主体的権利をもった被告とならざるを得ないものであるとともに、その主体的権利を拡大し、立法府さえも犯す。自分の意志にもとづいて相手(国会行政機関国民)に働きかけができる、否している権力主体をもった独立人格をもっており、憲法の拘束から逃れることのできないものであるからして、その責任は問われねばならないのである。内閣の内閣法も違憲だ。

第三点 内閣総理大臣の帰属する主体的義務とは憲法であり、主権者国民である。

原判決はもう一つの被告不適格の理由として主体的義務の帰着するものではないからといっているが、上告人が申しあげるまでもなく、内閣総理大臣の義務とは二つであり、一つは日本国憲法に対してであり、今一つは主権者国民に対するものである。まず憲法を守る内閣でなくてはならないということであり、憲法を守り実施する内閣総理大臣でなくてはならないということである。だからこそ憲法九九条は名ざして大臣--は憲法尊重擁護義務があると規定しているのである。ということは総理大臣と各部大臣で組織されているのであるから内閣全体として憲法の求めている平等や生存権、職業選択の自由等の基本的人権、国民主権平和等の人類不遍の原理を遵守し、その破壊に抵抗し、その実施を確保する義務を有しているのである。然も内閣総理大臣は憲法九九条で例示され名ざれている国会議員であり、大臣であり且つその名ざされ例示されている大臣を総理し指揮監督せねばならぬ首長として合わせて三重の憲法尊重擁護義務が課されているといわねばならず、この責任は重くて大きなものだといわねばならない。然るに日本国憲法の下では帰属すべき権利義務をもたずして存在し得ない法的な根拠を憲法で負っているのである。 即ち人権内閣としかいいようのないそして人権総理大臣としかいわざるをえない存在であり、だから主体的責任義務を帰属するしないどころか、責任と義務は憲法によって規定されており、一方で国民があり、他方で憲法の要請があり、そして選挙を公約をもって闘わねばならぬ主体的な権利と義務をもたされているのであって、やはりこれだけ世界に例をみない絶大な権力という行使できる権利と憲法一五条の全体の奉仕者であること一四条の法の下の平等二二条の職業選択の自由二五条の生存権二九条の財産権三〇条の納税の義務八四条租税条項等々始め憲法の要請している要件を遵守し、その破壊に抵抗し、その実施を確保する義務を内閣は負っているのである。日本国憲法においては機関内閣ではなくて大臣が何んでもその意思でやれて相手に働きかける権利義務をもった憲法を遵守し、その破壊に抵抗しその実施を確保する人権内閣であり、人権総理大臣でしかなりたたないものであり機関としては存在し得ない内閣であり、総理大臣といわざるをえないのである。然に行使できる権利も、国民の生活の全般にわたり、多種多様であり且つ強大であり、その責任も自ら他人に対し自分の意志で相手に働きかけて影響をあたえているのであり、そこに総理大臣の意思と働きがあって生れているのであり、その責任を問われ、つぐなうのも当然だといわねばならないのである。

第二二点 内閣の法案提出権の否定の学説

「法律案の提出が、立法作用の一部であること、国会単独立法の原則を貫くべきことの二点を主要な論拠とする。 初期の代表的な(内閣の法案提出権否定の)説として佐々木惣一(改訂日本国憲法二七〇)を引用してみよう。 「法律案の提出はこれを国会が為し得る。内閣は為し得ない。何故かというに、法律を制定することは……ただ国会のみの権限に属する作用であり、そして法律案の提出は法律を制定する作用に属するものであるからである。一の作用についての提案は、実際上の意味において、その作用の中、最も有力な働きを為すものであるから、本来その作用のなすの権限を有しないものが、その作用について提案する。ということは矛盾である。「法律制定の権限を有しない内閣が、法律案を提出することは、憲法によりできない。それができるとせば、実際上の意味では、内閣が、立法機関となり、国会が唯一の立法機関ではなくなるであらう。内閣が何んらかの法律の制定の必要を思う場合は、その意思を国会に通ずればよい。」「憲法七二条にいう内閣の議案提出権は、本来内閣の権限に属する作用についての議題を意味するから、この条文を根拠に、内閣の法律案提出権を認めることはできない。」これと同旨の見解は、磯崎辰五郎(法律案の提出者 統治行為説批判二八頁)鈴木安蔵(憲法概論一七九頁)等にみられる。

旨定説の側からは、特に四の論拠にからめて(内閣の法案提出権を否定しても、国務大臣の過半数が国会議員であり、国務大臣が議員の資格で発議できるということ)否定説をとる実益のなさが指摘されているが、これに対しては「基本権となる原則を、可能な限り厳格にすべき意味において「否定説を妥当と考える」(酒井吉栄「国会の地位」憲法講座3 一九頁)「仮にいうが如き、法律案の提出を内閣がなし得るか否かは、実際政治的に見て重大な問題でないとすればそれこそその何に決することも容易な訳であるから合理性のあるものと思われる方の解釈を取るべきである」(前掲磯崎三四頁)又星野安三郎(「第五九条有倉編基本法コンメンタール 新版憲法二〇七頁)「……

「内閣による法律案の発案は、憲法上否定されると解すべきだが、かりに認めたとしても、その解釈と運用は、制限的になされることが必要である」ジュリスト増刊 憲法の争点 小島和司編一九三頁 野中俊彦 内閣の法律案提出権一九三頁--一九四頁参照)純すいな真理学説からいけば星野教授の学説の如く、内閣による法律案の発案は否定されると憲法四一条は解す以外ないものである。然し仮に認めたとしても、その解釈と運用は制限されるべきというのも、星野教授の、苦惜しさの中で現実妥協の意味だと思われるが、旨定説も又、内閣が唯一の立法機関国会の立法権を侵害してきた四〇年の現実妥協の追認した結果としか思えないにおいて佐々木教授、磯崎教授、酒井教授の憲法の真の要請に基ずいた真理学説こそ唯一正しいものである事を感じ取るとともに、消費税法を立法権をもたない内閣が、主権者国民の九〇%の意思に背き制案し、国会に提出したことは国会は唯一の立法機関であると規定している憲法四一条に違反し無効であると主張するものである。とともに他人である消費者(上告人ら)から流通と消費に対し三%消費税という名で賦課徴収しつつその三%を全部企業に横取りさせ、その額は平成元年五〇五八億円そして一部又は全部横領させる額二兆七千六百億円国庫に入いる額に近い巨額、消費者を差別し、不正横領を認容する憲法一四条二九条三〇条二二条二五条八四条その外に違反する不合理な差別や不公平を規定する憲法の条項に違反する消費税は違憲無効であるといわねばならないとともにその法案を立法権のない内閣が提出したことも、違憲効であるといわねばならないのである。

第二三点 消費税は憲法全体の原理に違反して無効

「日本国憲法は、明治憲法と異なり、現代憲法として、積極的に人権を擁護することを意図している。憲法はまず、二条において「国民の基本的人権の享有、基本的人権の永久不可侵性」を確認し一二条において、「この憲法の保障する自由及び権利の保持責任、濫用禁止、利用責任」を明定している。そして十三条において個人の尊厳を強調している。」「すべての国民は個人として尊重される生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法、その他の国政上の上で最大の尊重を必要とする」さらに憲法九七条では「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、この権利は過去幾多の試練にたえ現在及び将来の国民に対し侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」これをうけて、憲法はさまざまな人権規定を整備している。

これらの人権条項は、そのまま納税者の権利論を展開する場合の法的基礎になることはいうまでもない。憲法はこのように人権保障を司法的にも担保するために、明治憲法に存在しなかった違憲立法審査権を裁判所に付与している。明治憲法になかった租税に関する憲法原則の一つとしてわれわれは応能負担原則を憲法から抽出することが可能である。すなわち憲法一四条の「法の下の平等の、法的意味は、租税面では能力に応じて平等であることを意味するのである。日本国憲法の下では応能負担原則は、財政学上の原則ではなく憲法上の原則なのである。それ故応能負担原則に反する租税法は憲法理念的に好しくなく時に当該立法が憲法の応能負担原則に違反することゆえに違憲無効となる」。(北野弘久著 納税者の権利三〇頁--三二頁)

そして北野教授は「租税の人税化する(納税者の人的諸事情をできるだけ考慮する)ことを憲法は求め租税の人税化の意味は租税における人権尊重を意味し応能負担原則こそ日本国憲法の要求している原則であることを明らかにしている。違憲性のある応能負担が消費税にあるのかどうか。富岡教授は次のように研明している。

「第一は弱い者いじめの体質だ。つまり税としてあるまじき逆進性である。低所得者により高い負担がかかり、高額所得者の負担は少ない。政府の説明では、消費税を導入したが、所得税、住民税の減税で国民はすべて減税だという。しかし、私の試算では、月収二五万円の人は、年間二万四千円の増税、月収三三万円の人は一万六千円の増税、月収四二万円の人は一万三千円の増税である。つまりサラリーマンの大部分は三%の消費税だけで増税なのだ。これは、所得に占める消費の割合である消費性向きの見方と消費支出のうちで、課税分と非課税分の見方に問題があるからである。

月収五〇万円になって初めて年間で一万円の減税なのだ。これが将来税率が、一五%にも上がったら年収八三〇万円の人の消費年額は、月収の五九%であるのに、月収わずか一五万円の人は実に一四五・六%で三倍にもなってしまうのである(別表A参照)(こんなひどいことが現に起きているのである。)

「税金とは、本来、応能負担原理に基づき、所得の多い力の強い人には、より割高に。力の弱い人には割安に課されるべきである。そしてうんと所得が少なければ、国が福祉というかたちで助けるというのが、自由主義社会の税金であるはずだ。」(雑誌サンサーラ七月号 政治の取引に堕した国民不在の消費税 富岡幸雄-一八三-一八四頁参照)富岡教授研明のように、いかに逆進性の高い弱者に苛酷な消費税の姿が一五%になったら年収八三〇万円の人にくらべて、月収わずか一五万円の人は一四五・六%実に三倍まさに逆進的も甚だしいといわねばならない。弱者いじめの消費税であることを如実に物語っている。このことも憲法一四条の求める応能負担原理に反し違憲であることは明らかであるといわねばならない。そして付則三条では三%集めたものを全額一部企業に横取りさせるべく消費税法は規定しているのである。その額は一社に二百億円も横取りさせているのである。さらに簡易課税限界控除も然りである。

2 そして不公平税制は是正されていないのである。「しばしば問題とされているのは、租税特別措置と呼ばれるものである。その多くは、一定の経済活動を行う者に租税上有利な取扱いを与える租税優遇措置である。所得税に関するものであるが、たとえば、利子や配当に有利な取扱いを定め、有価証券の譲渡益を一般的に課税とし、医師の社会保険診療報酬に高率の必要経費額の控除を認め、技術等海外取引につき一定の特別控除を定めるなど多くの例がみられる。これらの優遇措置をうける者は、そうでないものにくらべて、軽い租税負担しか負わないことになる。優遇措置を採ることに政策上何らかの合理的な理由がある場合は別であるが、そうでない場合には、立法として不適当なものというにとどまらず、場合によっては、憲法違反の問題も生じよう。」「税法入門」(金子宏。清水敬次。宮谷俊胤。畠山武道著)(三五-三六)

即ち違憲性の不公平税制が現存した上で、この著しい不合理な不公平や差別と不正を法の中に取こんだ消費税を被告らは導入しさらなる大きな且つ悪質な税法を立法権をもたない内閣が法案を作り国会に提案し、国会議員は可決成立させているのである。

3 不公平税制を是正すれば、富岡中央大学教授によればその試算によると平年ベースで七兆八千六百円財源がでるのである。」(甲二七号証)さらに北野弘久日本大学教授の試算によると大企業の法人優遇措置を整理すれば、「国税で一〇兆円地方税で七兆円でる」とのことである。

違憲性の不公平税制を是正し、税を正常にもどすことで、平成元年消費税で国庫に入った三兆数千億の数倍の財源がでるのである。消費税いらないのである。

マル優の廃止によって六百二兆七千九八八億からも利息の二〇%分の巨額な財源がでる。これも生存権保障のためにやっていたのに何んら社会保障に使われていない。上告人は一千兆円に近いといわれる公社公団の資産を二割整理し、百五十兆円の国の借入れを支払い、今まで払っていた利息と残額で恒久の社会保障費はあまる程できると主張している。勿論被告らの目的は金のなる木を作っただけなのである。その証拠に失業保険料は年間一兆六千億円取過ぎている。年金保険料は値上げし続けている。それで解決できている。何んのためなんだ。答えは使うためということしかない。そうではないか。消費税の不正や不合理な不公平や差別は社会保障の原点あたたかい人間の心を忘れているとしかいえない。政治資金の調達と集票税金のバラまき利権のとりあい、この中でゆがめられた不正や不公平な税法が作られたとしかいいようがない。憲法学の田端忍元同志社大学学長の私への手紙をかりよう。

「消費税は大金持の大減税とセットされて導入されたことに問題がある。」そしてもう一つの言葉を引用させていたヾきたい。「消費税は金持階級の大所得を優遇した税制の結果です。非憲法的であり、非人道的であり、まさに政治の貧困です。マッカーサーの善政で残してくれた累進税を復活することが絶対必要です。」先生の純すいな学説の通りであり、消費税は憲法の全体原理に反する非憲法的であり、弱いものいじめの非人道的なものである。そして違憲性のあるどんなに少くみつもっても富岡教授の試算では、七兆八千六百億円不公平な特別措置による財源がで又大企業の法人税を正常にもどしても一七兆円あるというのに付則まで作って一社に大きいのは二百億円、小さくても一億円他人から税金として集めた他人の財産を横取りさせて、その上に電気業自動社業界には、物品税を廃止して税金を二二%から六%に滅税し、数千億円バラマキ、ぜいたく品の税金を下げ、他の業界には集めたかねの取扱いの法定性明確性をなくして、巨額な運用益をあたえ、他人の金を横領は二兆七千六百億円そして利益をあげた業界からは、そのお返しとして党や政治家が政治資金を礼金としてとりたてる。

まさに田端先生のいわれる通り、どこに憲法の求めているところに対する配慮があるのか。憲法違反というようなことも当然だが非憲法的憲法違反といわざるをえない。そしてそれも又政治の貧困が故にもたらしている社会悪政治悪の成している業という外はない。シャープ税制はシャープ博士の税哲学があって生れている。あなたたちが不公平な優遇措置をひっつけて税金をばらまき、そのお返しに政治資金を取得してきたその政治悪が今日の不明ろうで不正義の根元ではないか。前述の通りそれらのいちぢるしい不公平きわて重大な差別的不合理な消費税法の扱いの規定に合理的な理由はありえない。憲法の前述の諸条項に違反するばかりではなく、憲法の理念とする原理原則に違反し、非憲法的違憲無効だといわざるをえないのである。

第二四点 一、二審の判決に消費税法付則三条について欠落しているのでご判決を求める。

追記 内閣法に法案という言葉をいれてもそれを又内閣が作って内閣が提案したことを含めてその条項は違憲だ

以上

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